一本松 題字

1998.11.25   第5号   編集発行 片野尾公民館

 

あいさつ

 

二年間を振り返って

          公民館長  宇治 金吾(五左ェ門)

 早いもので、私が公民館長に選出されてからもう二年が過ぎようとしています。仕事のせいにするのは少々気が引けるのですが、いままで公民館活動に余り協力してこなかったので、如何に運営したら良いか、他の分館に引けをとらない活動をするにはどうしたらよいか、最初から大いに悩みました。役員の人選にも困りましたが、区の皆さんのご支援・ご協力により、どうにか任期を終わろうとしています。
 前任の小坂氏は、先頭に立って、積極的に活動されたのにくらべ、私の場合は皆様の期待外れの、物足りない運営だったと感じています。しかし、前年の実績を下回ることがないよう、、役員の方々からも頑張ってもらいました。さらに私たちは、漁港、歌舞伎伝承館という地区の大きな夢の実現にむけて、地道に地域おこし活動を展開していかなければならない、大事な時期に来ております。
 二年間を振り返ってみますと、春・夏三回実施した公園、神社、八十八ヶ所霊場、県道等の草刈りやそうじ、空き缶拾い等のボランティア活動には、ほぼ全区民の方々から参加してくださるようになり、大変うれしく、感謝しております。今後も継続しなければならない事業ですので、都合していただき、今後も大勢の方々の参加をお願いいたします。
 各部の事業につきましては、ほぼ実現できたと思っています。役員各位のご努力に感謝すると共に、今後、どなたが館長になられても、地区の皆様の暖かいご支援・ご協力をお願いいたします。

 

 

8.4大水害について

       区長   金子 富夫(小平)

 今年は春から天気も順調で、平穏無事で過ごせるかと思いのほか、八月四・五日の集中豪雨は、百年に一回と言われる大水害に見舞われました。
 この大水害で、農道や田畑の決壊、河川からの砂礫の流入、山崩れ等、発生件数にして約八十か所にもなりました。
 幸い人家や人名に損害がなかったのが何よりでした。
 地区の皆さんは、四日の早くからクワやスコップを持って、毎日、百人近い人達が氾濫する河川の通水や、道路の仮復旧に、延べ三日間も出動してもらいました。
 さて、これをどう復旧するか。被災者の負担を少しでも軽くするにはどうしたらよいか。相談のため毎日市役所通いが続きました。
 それには、先ず市役所はじめ、県の関係機関から現場を見てもらい、その対策を立ててもらうことが先決だったからです。
 毎日、調査・測量・査定等、関係機関から訪れる職員の対応、市役所との連絡等で、八・九月の二ヶ月間は、災害から離れることのできない日が続きました。
 十月末になってようやく復旧のメドもついて、十一月から復旧工事に入ることになりますが、全部完了するまでには三年位かかると思われ、多額の補助金がもらえても、なお、被災者の負担は七百万円程になるのではないかと思われ、心を痛めています。

 

 

福祉の仕事に就いて

       藤岡 憲介(浄願寺)

10月から、両津市のデイサービスセンター『しゃくなげ』で、介助員として老人介護という仕事に従事することになりました。いろいろ難しい事や辛い事もありましたが、ようやく慣れ、少しずつですが仕事のおもしろさや、嬉しさも経験するようになりました。
 お風呂の介護のときに、ある利用者の方から『背中流すの上手になったね』と褒められた時や、また、トイレ介助の時の「ありがとう」と言う言葉には感激しました。
 また、意外に思った事は、一人暮らしの利用者さんが多いということです。こういった方はデイサービスの他に、ホームヘルパーや真心弁当などのサービスを併用することによって、日々の生活を送られています。しかし、お風呂に一人では入浴できないことや、何かあった時に一人では対処できないといったことのお話を伺っているうちに、せめてデイサービスを利用する時は、安心・快適に過ごしてもらえるように努力していかなければ、と心を新たにしました。
 福祉の仕事は繊細で、難しい仕事ですが、その分やりがいがある仕事だと思っています。故郷である佐渡の福祉に少しでも貢献できればと思っているところです。

 

遠い空から

 

ふるさと

          長岡市  押見 虎三二(治部左エ門出)

 公民館だより『一本松』第四号を恵送賜り、誠にありがたく拝読いたしました。
 わが故里、片野尾の『におい』が滲んでいるようで、大変嬉しく、懐かしく思いました。
 過疎化やダム建設で、故里を失う人が多くなる時世に、農業主体の片野尾では、後継者の問題があろうかと思うと、私の少年時代の田や畑は雑木林になるのだろうかと、心痛むこともあります。公民館だよりを読みましたら、漁港背後地の新しい利用計画など、これからの観光地を目指す新しい歩みを踏み出しているとか、力強く頼もしく期待いたしております。
 十九年、五歳にして片野尾を出てから、もう八十四才になりましたが、心静かに狭い庭の草木を見、風渡る音を聞くと、いつも片野尾の「神之坪」あたりの山々が思い出され、遠くから山鳩の声や、郭公の鳴き声が聞こえてくるような錯覚におちいります。そして、故里片野尾が豊かに、何時迄も続いてくれるように祈るばかりです。
 公民館だより『一本松』第四号を拝見し、嬉しく懐かしく駄文を連ねました。皆様のご健康でご活躍のほどをお祈りいたしております。

《説明》押見先生は、皆様ご承知のように、片野尾小学校の校歌の作詞者として、また新潟大学名誉教授として有名な方です。
 お元気で、長生きしてくださるよう願っております。

 

 

実家に・片野尾に・感謝

          柏崎市  三國屋 静男(源四郎出)

 『孝行したい時に親はなし』といいますが、父はすでに鬼籍に入ったものの、幸い母は健在でとてもうれしく思っている。
 今年米寿を迎えた母は、夫や子供の看病のために、人生の半分近くを病院で暮らした人である。本当に大変だったろうと頭が下がる。その母にせめて老後はのんびりと過ごしてほしいと兄弟姉妹で温泉に誘い、昨年は月岡へ、そして今年は岩室へ行ってきた。
 母が曾孫たちに囲まれ、賑やかな中にも幸せな老後を送れるのも、兄と兄嫁が一家の大黒柱として家業に精を出し、母を大事にしてくれているからである。
 漁協や歌舞伎の飲み会から帰ってくると、上機嫌の兄は決まって母のところへ顔を出し、『キヨコ殿、ただいま帰りました』と言ってみんなを笑わせる。本当にありがたいと思っている。
 もう一つ、私がありがたいと思っていることがある。
 それは、片野尾に島の外や県外から若いお嫁さんが多く来てくださっていることである。片野尾という村そのものの魅力なのか、それとも若い人達の魅力のせいなのかわからない。それはともかくとして、過疎と少子化に悩む片野尾にとっては喜ばしいことであることには違いない。今後もどんどんお嫁さんが来てくださり、若妻会メンバーが増えることを祈りたい。
 ところで、私のように次三男は、程度の差こそあれ、いつも実家を大切に思っており、私もその実家を守ってくれている兄に感謝している。そして、それと同時に今の自分を育んでくれた自然豊かで、人情細やかな片野尾に感謝している。片野尾は私の心のよりどころであり、いくつになっても懐かしい。

 

 

故郷を離れて思うこと

          新潟市  三國 豊(源十郎)

 秋も深まり、朝夕めっきり寒くなってきました。
 新潟に転勤になってから、早いもので二年半がたちました。最初は、都会暮らしが珍しくて(年甲斐もなく?)ワクワクしていたものでした。コンビニに歩いていける。朝寝床で新聞が読める。新潟駅で飲んでもタクシーで帰れる。日曜日に昼まで寝ていても誰も来ない。等など快適に過ごしてきました。
 しかし、三年も経つと、だんだんとこんな生活を繰り返していいのか、と思うようになってきました。近所の人との付き合いは薄いし、町内会の集まりも年に一回の夏祭りだけ、自分たちの心の居場所がないように思えてきました。
 片野尾は両津から遠くて、不便であり、田舎独特の風習があって、若者にとっては住みにくいかもしれません。現実に、故郷を離れてみて、片野尾を見直しているものの一人です。
 農業や漁業をしながら、四季の変化を敏感に感じ、共に働いている実感を共有できます。
 祭りや歌舞伎、催し物などになると、村中の人々が目的に向かって、熱く熱く燃えます。人々の熱気が村中に充満していきます。生き生きとした活気あふれる村になります。
 近所や親戚との付き合いが常時あって、人々の交流が盛んで、孤独だということはありません。田舎には、独特の厚い人情も残っています。離れて初めて、片野尾の良さを感じています。
 一つ心配なことがあります。それは、現在片野尾は、念願の漁港づくりや道路拡張の工事が進められ、近代化が進められています。時々、家へ帰って思うことは、周りの自然が失われていくなぁと思います。ぼん島、長島、すずめ岩がなくなり、子供の頃、毎日釣りをしたり、泳いだ海岸がなくなるのは淋しい限りです。新しい海岸になっても、海へ下りて行ける。新しい道路になっても、緑が残されている。このような田舎の良さが感じられるような片野尾にして欲しいと願っています。

 

片野尾小学校 百十周年記念事業及び子供歌舞伎終わる

十月二十五日、大勢の地域の人や旧先生方を招いて、片野尾小学校百十周年記念事業及び子供歌舞伎特別公演が行われました。

当日は、

●9時30分から
第十回子供歌舞伎特別公演『勧進帳』全校児童十四名

●11時10分から
講話・『佐渡の鬼太鼓』 新潟大学人文学部 助教授  池田哲夫先生

●12時20分から 記念式典

●13時10分から 祝賀会

との日程で催されました。

 

子供歌舞伎は、文部省の『ゆとりの時間』の創設により、昭和五十五年から始められ、今回が十回目、そして創立百十周年という記念すべき年に当たり、今迄は五・六年生で演じていたものを、三人しかいないことから、全校児童十四名で、歌舞伎十八番の内の「勧進帳」という大芝居を演じることになり、練習を重ねてきました。


  当日は、化粧や着付けなどの準備のため、早朝6時集合、眠い目をこすりながら、まず化粧から始まりました。17日のリハーサルでは、「冷たい」といっていたおしろい塗りもなれたもの、着付けが終わるともう立派な歌舞伎役者に早変わりです。何しろ、リハーサルの時と違って、事前にテレビや新聞で報道されたため、体育館は満員です。開演時間が近づくにつれて緊張する役者もいたようでしたが、緊張するのも無理はありません。しかし、舞台へ上がった面々は自信満々、あまりにも見事な演技に、拍手喝采、悲しい場面では目頭を押さえ、ハンカチをぬらしている姿があちこちで見られました。特に、指導した先生方やPTA、歌舞伎保存会の皆さんが感動していた姿が印象的でした。
  また、新潟テレビ21、いきいきワイドメインキャスター小野沢裕子さんの一家もおいでになり、目頭を押さえておられましたし、『とても感動しました。』と、後日の番組で取り上げてくださいました。
  更に、今から18年前、佐渡全島を会場に『全日本子供のための舞台芸術大祭典』が開催され、その名誉会長を勤められた、人間国宝の中村歌右衛門さんから、片野尾小学校子供歌舞伎の皆さんと共演したいとの申し入れがあり、前日、片野尾小学校へ練習の応援に来られ、翌日、両津市民会館で、歌舞伎『隅田川』を歌右衛門さん親子が、その前座を歌舞伎『絵本太閤記』を5・6年生の児童が演じ拍手喝采を受けましたが、それ以来のお付き合いが続いています。
  その歌右衛門さんが体調を崩して病床にある。今回の公演を見に来てもらって、元気を出してもらおうと、みんなで作文を書いて送りました。すると、公演の前と後に、家族や付き人の方からお手紙をいただきました。そして、公演当日、みんなが化粧や着付けをしている中へ、『歌右衛門さんから電報が来たよ』と校長先生が電報を読み上げると、児童は、しばし目をパチクリ、そのうち拍手と歓声に変わっていきました。

その内容は

お祝い

   片野尾小学校 子供歌舞伎 出演者の皆様へ

 本日は、子供歌舞伎公演おめでとうございます。練習を一生懸命してらして今日の日を迎えられ、緊張していらっしゃるのでは、と思いますが大丈夫です。のびのびと演じてください。拝見できず、とても残念ですが、ビデオを送ってくださるのを楽しみに待っております。これからも皆さんの力で、子供歌舞伎を大切に続けていくようお願いいたします。
    中村歌右衛門

 

 子供たちからの激励の手紙を読んで、病床にあって、必死に考え、付き人の方にメモしてもらって送ってくださった電報なのでしょう。早く元気になって、また、あの美しい舞台を見せてくださるよう、みんなで願いませんか。
 私たちだけでなく、人間国宝という、国も認める、国の宝なのですから。

 

子供歌舞伎 『弁慶』を演じ終えて

 

子供歌舞伎 『弁慶』を演じ終えて

          6年   薮田 裕季(次郎右エ門)

 発会式の日に台本をもらいました。見てみたら16ページのうち15ページがせりふでした。私は(大変だなぁ)、と思いました。
 最初の頃の練習は、せりふがふつうのしゃべり方ではないので、興味を持っていました。練習のときはおもしろかったです。でも、お盆までにおぼえなきゃいけないから、少し大変でした。でもk、何とか全部おぼえました。
 練習で『ふり』をつけていったころ、一つふりをおぼえると、一つせりふを忘れるので、あせりました。
 家でも練習しました。だから、毎日が練習のようでつかれました。
 リハーサルの時、きんちょうしてせりふをまちがえてしまいました。
 いよいよ本番です。私は、またまちがえました。しかも、2行もぬかしてしまいました。でも、堂々とやっていったら、たくさんの拍手がきました。うれしかったです。最後の六法の場面では、おばあちゃんたちが泣いているのが見えました。それに、お母さんたちも「うまかったよ」とほめてくれました。
 大変だったけど、私は弁慶を演じて(本当に良かったなぁ)と思いました。

 

小野沢キャスターから返書いただく

前項で、新潟テレビ21キャスターの小野沢裕子さんのことを記しましたが、当日写真係を仰せつかっていた関係で、家族の記念写真を撮る機会がありましたので、来校のお礼を添えて写真を一枚お送りしました。お忙しいお体で返書をいただくなんて思ってもいませんでした。
 ところがなんと、直筆で、長文ではありませんが、お人柄がしのばれる、温かく、感動的な返書をいただきました。これだから、キャスターを務められる『いきいきワイド新潟』のファンが多いのだと感激しました。
 編集終了間際にいただきましたので、うしろになってしまい、ご本人には大変失礼の限りですが、以下ご紹介します。

 

 金子様、写真ありがとうございました。
 片野尾の子供歌舞伎は、ずっと見てみたいものでした。そして、わが子にも見せたい。そう思っていました。
 みんなで協力し、成し遂げた、その達成感。これほどの体験はないでしょうね。自信にもつながるでしょう。
 立派にステージを、舞台をつとめたその自信は、いつまでも忘れないでほしいです。何かあった時、思い出してほしい。そう思います。
 正直、片野尾の皆さんが羨ましいです。これからも、また、感動させてください。ありがとうございました。
 寒さに向かいます、ご自愛くださいませ。

   新潟テレビ21  小野沢裕子

 

テレビでも見てね

 今回の子供歌舞伎は、このあと、11月29日から12月5日にかけて、『テレメンタリー98・守り継げ島の子供歌舞伎』と題して30分間、新潟テレビ21はじめ、全国放映されます。
 これは、練習が始まったときから、新潟テレビ21佐渡担当の方が、5ヶ月間も取材して出来上がったものです。
 放映日時は次のとおりですが、編集が遅れてしまい、このたよりが届く頃にはもう終わっているかもしれません。終わっていましたら悪しからずお許しください。

東京方面  テレビ朝日 11月30日午前1時25分から

新潟方面  新潟テレビ21 12月5日午前6時から

です。ぜひふるさとの様子、子供歌舞伎をご覧ください。

ご意見、ご要望はuzzy@e-sadonet.tvまでお寄せください。

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