一本松 題字

1999.2.10   第6号   編集発行 片野尾公民館

 

村おこし特集

 

 年頭にあたり

          公民館長  薮田 亨 (次郎右ェ門)

 昨年末の選挙により、はからずも公民館長に選出されました。二年間、役員の方々の協力を得て、皆様の期待にこたえたいと思っておりますので、ご支援・ご協力の程よろしくお願いいたします。

 さて、亡き祖父が三十数年前に作った、盆踊り『よいとまかせ音頭』と、歌舞伎を上演した録音テープが、蔵の奥から見つかりました。和やかで、心をひとつにしていた当時の片野尾の様子が目に見えるような気がしました。
 しかし、三十数年を経た今日の片野尾は、この間に多くの人材を島外へ輩出し、残った村人はなりふり構わず働き続け、人々の心の和も少しずつなくなりつつあることに、一抹の不安を感じているのは私だけでしょうか。
 このことの打開を含め、片野尾を活性化しようと、昨年から区の事業として『二十一村おこし会』の活動が始動しています。公民館としても社会教育面で、今まで以上に活動の輪を広げながら、明るく・きれいで・住みよい片野尾づくりに取り組む所存であります。特に、片野尾歌舞伎の伝承と発展、祭りや伝統行事の再興、美化衛生活動の推進、スポーツや芸能活動の助長を中心に、年配の方々の知恵と経験をお借りしながら、若い世代の役員の活力をもって『片野尾の和』づくりを進めていきたいと思います。また、その取り組みの一つとして、今年度から広報部を新設し、片野尾内外へ公民館やふるさとの情報をお知らせし、多くの方々から『ふるさと片野尾』を見つめる機会をより多くもってもらいたいと思っております。

 最後に、今年は片野尾内外の皆さんの親睦・交流という観点から、お盆の帰省時を利用し、『ふるさと交流会』を企画しております。実家の方々にはいろいろな面でご協力をお願いしますが、工夫をこらして楽しい交流会にしたいと考えております。今から帰省の計画を立てていただき、より多くの皆様の参加をお待ちいたしております。

 

 

 新年に村の明日を描いて  みんなで村おこしを

       区長   宇治 一夫  村おこし会会長(甚左エ門)

 新雪が輝いた卯年平成十一年の元旦。
 この年の区長が私如き者、ということですが、いたらぬところを援けてもらって、この一年を全うしたいと思っています。
 ところで、今年の初総会は出席できない者が十名もおりました。
 高齢社会の一現象と受けとめてはおりますものの、もう一つ気がかりなのは、若い者のほとんどが、村の外で働いているパターンです。
 その上、生活習慣はスーパーで食物を、家庭の中はテレビ中心、と。つまり、村の中で人と人とが、人と村社会が向き合うということが少なくなってしまったのが昨今です。
 こんなところに漁港ができ道路が広くなっても、活き活きとした村にはなるまい、という危機感から、二年前に村づくり運動を始めていたことが市に認められ、このほど、市の目玉事業である『地域おこしチャレンジ事業』を片野尾に入れてもらうこととなりました。
 総会や公民館大会で、考えているところを話させてもらいましたが、まず、この事業の受け皿として、二十一村づくり委員会を、『二十一村おこし会』と改称してこの実行組織には村の団体・グループのほとんどの皆さんに入ってもらいました。
 事業のキーワードは、『歌舞伎で村おこし』です。
 そして、事業三ヵ年の集積として、仮称『歌舞伎サミット』も構想しながら、事業の柱に、村の社会基盤整備と活用、村の文化の掘り起こし、村人の心の交流を深める、を取り上げています。
 その一つ一つを説明するには紙面がありませんので、ここでは、その担当部会をご紹介しますと

  1. 山村農業の進行部会
  2. 漁港と関連施設の整備、活用部会
  3. 風島の自然・施設活用部会
  4. 芸能・文化・伝統行事の復活継承部会
  5. 交流・健康増進・心休まる村づくり部会

の五つです。
 計画はあまりにもでっかくしかも多様ですから、一笑に伏される心配もありますが、片野尾には歌舞伎という伝統文化を百年も継承してきたエネルギーがあります。
 公民館役員、つまり若い者が中心となり、また、子供から年寄りまでがこの事業に参加する意気込みで、ぜひ成功させてほしいし、また、この事業をとおして、若い者が村に魅力を感じ、村に新たな価値を作り出してくれることを願っています。

 

 

区の役員決まる

昨年12月13日、二十歳以上の全地区民による役員選挙が行われ、次の方々が選出されました。
一、区役員関係
区長
宇治 一夫
副区長
金子 富夫
会計
宇治 義昭
公民館長
薮田 亨
議員
後藤 清左エ門
小田 誠
金子 一夫
宇治 久遠
宇治 昭
宇治 義久
金子 敏彦
宇治 仁
清田 一
会計監査
薮田 満
農家組合長
渡辺 忠生

 

☆投票率は65.6%でした。
せっかく、全地区民から村の政治に関心を持ってもらおうと改正された選挙制度です。
不在者投票制度もありますので、今年の選挙には、更に多くの皆さんから投票においでくださるよう、お願いいたします。


二、公民館役員
公民館長
薮田 亨
副館長
渡辺 一弥
庶務会計
津村 正明
社会文化部
 
部長
三国屋 陽一
部員

宇治 満
吉田 武治
藤岡 憲介

◇厚生部
部長
吉田 浩昭
部員
宇治 一久
村上 敏
山口 敏則
金子 和由樹
広報部
部長
金子 輝雄
部員

宇治 美徳
金子 康司

芸能部
部長
小坂 泉
副部長
金子 勝美
部員
土屋 和朗
婦人部
部長
後藤 まき子
副部長
大沢 君子
部員
婦人部員

 

回記録

 

 回記録

          親和会会長  山口 秀丸(七五郎)

 私の仕事が世間にどれだけ通用するか、試してみたい気持ちにかられ、片野尾を後にしたのが二十五才の時でした。
 温かい地区の方々の輪の中で養われ、自然に恵まれた中で育ってきた自分が、はたしてやっていけるかと言う不安を持ちながら、人に使われて機会を伺っておりました。
 三十二才の時、やっと自前の造船所を持つことができ、当時佐渡でも、FRP船を作るのは私の所だけという関係もあり、次々と発注が舞い込み、順調そのものでした。
 しかし、同業者のねたみとお得意様を取られるという不安からか、業者同士が組んで仕事の妨害をする等、私へのバッシングが始まりました。人間を信ずる難しさ、人間の表と裏の汚さを思い知らされていた矢先に、オイルショックの到来でした。
 二年間で今まで蓄えた資産のすべてを失い、残ったのは借金だけでした。私の生活は一変して貧乏のどん底と化しましたが妻や子供に『今までこうして、人のやれないことをやってきた父ちゃんだもの、これからもやれないことは絶対ない。父ちゃんを信じているから、もう一回やってみて』と言う妻子の言葉に励まされて奮起しました。

  人に裏切られ、だまされ、時代の流れに翻弄され、スランプにおちいった時、ふと思い出すのが、片野尾のやさしい人情味あふれた人のこと。また、片野尾の山・海の、何年たっても変わらない自然が気持ちを落ち着かせ、私の前進を教えてくれました。
  今こうして故里に帰ってみて、変わったことは多々ありますが、村おこしの会も発足し、幸い私もその端に加えてもらっています。その中で意見として述べていこうと思っております。
  私ばかりではありません。片野尾を故里としている人の気持ちは良く分かります。故里は心のオアシスですし、心の学舎です。この大好きな片野尾で生活できることを誇りとし、片野尾を故里としている方々のためにも、うるおいがあり、活力のある村づくりのために、私の宝物である妻と子供の知恵を借りながら、つとめていこうと思っております。

 

 

 村おこし事業に向けて

          宇治 美徳(半平)

 一月十五日、村おこし大会の行われた日の夜。大学の友人との電話にて。
『今日、公民館の村おこし大会があってさぁ〜』
『へぇ〜、スゴいね。うちの近所には、そういったもの全然ないからさぁ〜』と友人。
 また、ある日のこと。職場(羽茂)において、
『片野尾っちゃ〜芸事が盛んで、すばらしいのぉ〜』と。
 最近、テレビや新聞で『子供歌舞伎』や、『村おこし大会』の特集を見た人に声をかけられた。『すごいね』、『すばらしいのぉ〜』という言葉に、素直にうれしいという気持ちと、’ちょっと待って’という気持ちを同時に抱いた。
 自分の長所や短所は、案外自分では気付かないもので、人から教えてもらって『そうなのか』と気付く事が多いのではないか。
 そういう意味では、他から見て『片野尾のいいところ』を素直に聞き入れ、再確認する事は大切な事であるし、うれしくもある。
 そして先に述べた’ちょっと待てよ’という想いは私が昨年、片野尾に戻ってきて間もないという事が一つ。また、最近、片野尾はテレビや新聞などで取り上げられ脚光を浴びた。
 結果として、『片野尾には歌舞伎』と、認知されるようにもなってきた。
 周りの注目度の高まりにしたがい、これまでの片野尾を見る目も変わってくる。
 この周りの期待や、羨望の入り混じった思いが大きくなってくると、その期待に応えようと、必要以上に力んだり気負い過ぎたりしてしまうことが多々ある。
 ’ちょっと待てよ’という想いには、そういった他人の声に、主導権を握られそうな自分に向けて、言い聞かせた想いであったのだろう。
 周りの声に揺るがないモノを残し続けていくには、やはり、そこ(現場)の人達が現状を良く把握し、これからどこに向かっていくのか、今すべき事は何か、をお互いに理解しあって生まれてくるものだと思う。

 これから、「二十一村おこし事業」がスタートしようとしている。
 事業先行で、追われながら進めていくのではなく、地区の人達が、自分たちの足で、しっかりと大地を踏みしめ、地区民主導の事業展開がなされていけば良いなぁ〜、と切に思う。
 その事業の先には、いくつかの成果が報告される事だろうが、事業を共に進める過程で、お互い色々な事の話し合いがもたれると思うが、そういう時間を共有する事だけでもある意味で、一つの大きな成果だと思う。
委員になったからには、縮こまらずに、大きな心構えで取り組んでいきたい。

 

遠い空から

 

 なつかしいふるさと

            相川町   村上 了(佐十出身)

 片野尾のみなさんこんにちわ。私は現在相川の住民として、平凡な生活を送っております。
 思えば幼少のころ、風光明媚な風島弁天のふもと、片野尾小学校で共に学び、遊んだ旧友の方々はほとんど他界され、私を知っている方は数少ないと思いますので、私が今日まで歩いてきた経歴を簡単にまとめてみました。
昭和七年、両津小学校高等科三年卒業、昭和十年現役兵として近衛三職隊に入隊、十三年一時帰休しましたが、同年再び近衛三職隊に召集、世田谷自勤学に勤務、十四年十二月広島港を出発して中支戦線に参加、開戦と同時に部隊はタイ国に上陸、シンガポールを経由してスマトラ島で勤務しました。
 昭和十九年、陸軍准尉に昇進、同年勲六等を授与され、二十年八月終戦、この間生死の界をさまよい、やっと二十三年佐世保に復員しました。
 二度と戦争はやるべきではないと、身をもって体験しました。このことは、子々孫々に伝えるべき我々の大切な義務だと思っております。
 二十四年、佐渡支庁外郭団体に就職。二十八年、運転手として県に採用され県の佐渡出先機関の最高責任者、十八代の支庁長につかえ、五十三年無事退職しました。無理がたたったのか、その後五十五年頃より糖尿病を患い、現在でも病院のお世話になっています。
 私の日常生活は、新聞やテレビを見たり、旧友と共に好きなマージャンや囲碁で余生を楽しんでおります。
 では、はるか遠い故里・片野尾の皆様方のご健康とご多幸をお祈りいたしております。

 

 

 片野尾雑感

          塩沢町   関口 義広(小平娘婿)

 地区の皆さんはじめまして。
 私は、金子小平の二番目の娘婿です。よろしくお願い申し上げます。
 私がはじめて片野尾を訪ねたのは、平成二年のことです。
 当時の島内の道路状況は、狭い道が多く、前浜地区も車道の狭い箇所がたくさんあったように記憶しています。
 最近では、片野尾地区も風島弁天さんからくじら塚小公園の辺りまで道路も広がり、車の行き来も良くなり、現在もなお集落の道路改良が継続中であること、漁港建設の進捗等、ここに行き着くまでの地区の皆様方のご苦労が忍ばれ、社会資本の整備が進む中、片野尾も様子を変えつつあるように思います。
 そして夏帰省した時、子供たちが楽しみにしている盆踊り大会は、家族みんなで楽しめるイベントと思います。
 また、盆踊り大会や帰省の時など、ご近所の方々からお声をかけていただき、暖かい人情と土地柄に折に付け触れさせていただいております。
 最後に、片野尾の皆様方のご健勝と、益々のご発展をお祈り申し上げます。

 

 

 一月十五日のお礼と補いと

          新潟市   清田 文武(九郎左エ門出身)

 公民館だより『一本松』をいつも送っていただきありがとうございます。いつもなつかしく読ませていただいております。
 今回紙面をお借りして、いささかのお礼と、一月十五日の拙い話の補いをさせていただこうと思います。
 さて、先日は大変お世話様になりました。皆様からたくさんのお心を頂戴して、お蔭様で実に楽しいひとときを送ることができました。中学校の石井校長先生、小学校の田中教頭先生ともご一緒できてありがたいことでした。
 会場では焼きもちまでいただくなどして、いい気分になり、『長じり』になってしまいました。
 午後からは、昔を思い出させる数々のだしものは、なつかしいことでした。

 ところで、当日の長春市、ハルピン市での話ですが、一つ付け加えたいと思います。私が不思議に思ったのは、向こうの電話番号が、どこでも例えば日本流に書けば、0259-29-7143となるところを、区切りなしに、0259297143と続けて書くことです。別に不便はないそうです。
 韓国の場合を訪ねてみると日本と同じ区切りを入れるそうです。ホテルのトイレットペーパーですが、普通これは金具でできており、切る時は簡単に切れます。でも中国では瀬戸物の用具で出来ているため、日本と形は同じでも、全く切れず、不便です。
 風呂もいろいろ困ります。片野尾流に言えば立派なホテルでも、時々ジョーノミがなかったり、合わなかったり。お湯に入れないと係に言うと10分か20分位経ってから、どこかから何か探してくるという調子です。
 長年使っていたバンドの具合が悪くなり、向こうの物を買い求めたところ、やっぱり形は日本と同じなのに、止め金がアサッテの方を向いていて、すぐ外れたり、ゆるんだり。新潟へ帰って来てペンチで直そうとしているうち、佐十ジイウスにしてしまいました。
 また、汽車が定刻より3分早く発車したり、バスが定刻がきても乗客が満員になるまで50分も待っていたり・・・これは北京のことです。
 田舎の駅では20分早く汽車が発車することもあるということです。
 食事では、包丁の入っていない長い野菜が出て困りました。どこで食い切ればいいのかと・・。
そうそう、デパートのトイレに戸がなかったり。私は男だからまあまたいいとして、片野尾の美女様たちが、中国の少し田舎の方へ旅にでも出たら、困るだろうと思います。風呂敷でも持っていって、戸の代わりにすればいいでしょうが、出来なければ顔でもかくしたらどうでしょうか。便器も驚くほど小さい物です。
 中国では、物のはたらきにはあまりトンチャクしないのかなと、こうした例から考えさせられたのですが、その分精神的にどこか学ぶべきところがあるのかもしれません。それをこれから考えてみようと思います。

【説明】清田先生は、新潟大学の教授であると共に、東北・岡山・中国の各大学の教授も兼務され、ご多忙のところを講演に来て下さいました。ありがとうございました。

 

 

 佐渡魂に支えられて

          横浜市   浜田 静枝(万作出身)

 早春、雪の下からそっと顔を出すふきのとう、前を見れば遠い水平線、背後には山々の豊かな緑、本当にどこの地にも負けない程の、自然溢れる佐渡の風土で育てていただきました。
 片野尾を離れて早三十七年、改めて時の流れを感じているところです。
 いつも欠かすことなく、ふるさと便り一本松を送っていただき、心からお礼申し上げます。大変なつかしく、そして楽しみながら、待ちどおしい思いで拝見させてもらっています。
 私は、片野尾から横浜へ移り、看護学校・助産婦学校を卒業後、現在、横浜の総合病院で看護部長の任にありますが、前途に光り輝いた仕事をしたいものと、日夜懸命な日々を送っています。
 さて、一本松のお便りを拝見するたびに感ずることですが片野尾を離れ、何一つ、皆様方のお役に立つことが出来ませんのに、伝統ある歌舞伎保存はさることながら、多くの遺産の継承と、それを守り後輩に伝えることの大きな努力に、深い感謝と、温かい心を感じます。
 今日、私共がありますのは小さい頃からの先輩方のやさしい、そして温かなご指導の賜物と、片野尾魂が自分を支えてきたように思えます。
 これからの人生は、佐渡の皆様方に負けないように、自分の仕事に佐渡片野尾魂をこめて、更に精進していきたいと思っております。
 最後に、遠い横浜から、皆様方のご健康とご多幸、そして、佐渡・片野尾の益々の発展をお祈りし、また一本松でお会いできる日を楽しみにいたしております。

 

 

 諏訪湖畔から

          諏訪市   小林 一子(茂一郎出身)

 片野尾の皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。
 実家の父母がいつもお世話様になっております。
 私が諏訪に嫁いでから、早十二年が経ちました。文化も人間性も違うこの地で、最初はとてもとまどいましたが、今では度胸を決めて、何とか暮らしております。
 両津を離れて、見知らぬ土地での冷たさにあおられて初めて、片野尾の皆さんの温かさを感じました。
 先日テレビで、片野尾の歌舞伎をやっておりましたが、大勢の若者や子供たち、お年寄りの登場で、昔を思い出しとても温かい気持ちになりました。
 私は、年に一度お盆に帰りますが、正直なところホッとします。
 それはさておいて、私が住んでいる諏訪のご案内をいたします。
 東京から、あずさに乗って二時間半で上諏訪駅に着きます。。駅の所に温泉があります。温泉地であり、各家庭にも温泉風呂があります。
 我家の近くには諏訪湖があり、近くには美術館や植物園温泉の吹き出す間欠泉があり時間になると温泉が吹き出します。
 昔から、精密工場で栄えている土地のようで、周辺には広々とした山々があり、スキー客や、土・日曜日には遊びに来る観光客で賑わっています。とても良い所ですので、村の旅行でもありましたら、是非一度お立ち寄り下さい。お待ちいたしております。
 それでは皆様お元気で。

 

お知らせ  広報部

 

一、

 一月十五日、『村おこし』を地区民心を一つにして取り組もうと、盛大な集会が持たれました。内容は新聞に詳しく出ましたので、以下掲載しました。
※当時の新聞記事の切り抜きが残っていませんので、本文だけ以下に掲載させていただきます。

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歌舞伎を起爆剤に   両津市片野尾 村おこし大会開催

 両津市片野尾公民館でこのほど、片野尾地域の二十一世紀の発展に向けた「21村おこし大会」が開かれた。市のチャレンジ事業の認定を受けて伝統芸能の「片野尾歌舞伎」を核にした地域おこしを目指しており、大会を皮切りに本格的なチャレンジが始まった。
  片野尾の地域おこしは、本年度から十二年度までの三ヵ年計画。「21村おこし会」(会長・宇治一夫区長)を組織し、その中に「山村農業推進」「漁港・関連施設等整備」「風島の自然・施設等活用」「芸能・文化・伝統行事継承推進」「親睦・交流・健康増進・美化運動推進」の五部会を設けて事業展開を目指す。
  核になるのは「片野尾歌舞伎」などの伝統行事の継承、発展。地域おこしのキーワードも「歌舞伎で村おこし」となっている。
  歌舞伎については、基礎からはやし方、かつら、鳴り物の各講座を開いて伝承を確かにし、将来的には全国から農村歌舞伎を集めて「歌舞伎サミット」の開催を目指す。漁港の整備に併せ埋め立て地の一角に公民館を移転新築し、「片野尾歌舞伎伝承館」とする案も検討されている。
  大会は「21村おこし会」主催で、毎年新春に開く恒例の公民館大会を切り替えて開いた。地域おこしにかける地域の人たちの熱意を表すように、全六十七戸を挙げた参加で百五十人ほどが集まり、計画の推進を確かめ合った。
  締めくくりは、子供からお年寄りまで次々に舞台に上がってのアトラクション大会。子供たちは太鼓の踊りや各家のことわざをユーモラスに紹介する紙芝居をし、お年寄りたちは伝統的な嫁入りの様子を再現した寸劇や盆踊りのすもう甚句などを披露。歌舞伎の地らしくいずれも芸達者なところを見せていた。

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二、

 歴代の区長さんや役員の皆さんが、他の地区と比べてせまく・歩道もない危険な県道を広げてもらおうと努力した結果が実って、昨年から第一工区としてくじら塚小公園から、三国たばこ屋さんまでの工事が急ピッチで進められています。
 今迄は5メートル程の幅でしたが、今度は、両側に3メートルの歩道がつけられ、総幅が2.5倍もの13メートルになる計画です。
 歩道には並木ボックスも設けられ、植樹・植栽を行いうるおいのある地形に変身する予定です。
 現在までのこういう工事はコンクリートばかりの工事でいかにも味気ない光景でしたが、今回から波打ち際は昔の捨石の様に、自然石を並べ自然環境に配慮した計画になっています。お盆に皆様が帰省される頃には、立派に出来あがった第一工区の様子を見ていただけるものと思います。
 『ふるさと親睦交流会』も計画されていますので、是非皆様おいでくださるようお待ちいたしております。

 

三、

 先号で、昨年、片野尾小学校の子供歌舞伎特別公演が行われ、とても上手にできたこと、人間国宝の中村歌右衛門さんから電報をいただいたこと、てれびの全国放送があることをお知らせしましたが、一本松が届くのが遅くなってしまい、見られなかった方が多かったのではなかったでしょうか。お詫び申し上げます。そのテレビを見た方々から、学校へ激励の手紙や電話が来ているとのことです。
 その中で、現役の歌舞伎役者の方から、お褒めの手紙や礼状に対するお礼のお手紙をいただきました。また、お得意様にお配りする手ぬぐいまで送っていただいた子供たちは、大喜びでした。
 以下、お便りを紹介します。

 

 片野尾小学校の生徒のみなさんこんにちは。
 先日、テレメンタリー98『守り継げ・子供歌舞伎』という番組で、みなさんの『勧進帳』を拝見しました。
 みんなが、一生懸命に歌舞伎に取り組む姿、そして何よりも本番での素晴らしい出来栄えに感動しました。
 これからも、歌舞伎を身近なお芝居として、楽しんでください。
 また、子供達をご指導なさった先生はじめ、衣装などの裏方を努められた歌舞伎保存会、そして父兄の皆様にも一言。
 「御見事!」
                  十一代目  市川 高麗蔵

 

 お手紙をいただいたお礼に児童全員がお礼の手紙をお送りしたところ、お名前入りの手ぬぐいを添えて、再度、お礼のお手紙が届きました。

 

 片野尾小学校のみなさん、新年あけましておめでとうございます。
 先日は、素敵な絵入りの御手紙、ありがとうございました。御芝居だけでなく、絵や文がとても上手なのに驚きました。
 私は、一月二日から、歌舞伎座の初春大歌舞伎公演の『当年祝春駒』(あたるとしいわいのはるこま)という踊りで『化粧坂少将』(けわいざかのしょうしょう)という傾域と、『御所五郎蔵』(ごしょのごろぞう)と言う芝居で男伊達(おとこだて)の役で出演しています。
 皆さんに負けないよう、御正月早々、張り切って役々を努めています。
 同封の『手ぬぐい』は、役者が年始めの御挨拶に、お客様にお配りするものです。よろしかったら記念に受け取って下さい。
 今年も皆さんにとって良い年でありますよう、お祈り申し上げます。

                  十一代目  市川 高麗蔵

 

 

編集後記

 皆様お揃いで良いお年をお迎えのことと思います。
今号は、現在の地区の様子を、片野尾出身の皆様と、村おこし会の委員でない地区の方々にお知らせしようと、『村おこし特集』としました。
 村おこし会の五つの部会の皆さんが、次々と、毎日のように公民館に灯りがついて話し合っています。とても良いことだと思います。
 皆様、村おこしで良い知恵やアイデアがありましたら、お寄せください。

ご意見、ご要望はuzzy@e-sadonet.tvまでお寄せください。

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