一本松 題字

1999.6.1   第7号   編集発行 片野尾公民館・村おこし会

 

村おこし地域版

 

 みんなで活かそう スキューバダイビング

          21村おこし会会長 区長  宇治 一夫

 この5月は、平成10年度村おこし事業の実績報告のことから、急にまとまったスキューバダイビングの受け入れ準備で、目がまわるような初旬の十日間であった。
  特に、平成10年度の決算を出すには、事業実績のまとめ方が鍵となるので、ない頭をしぼって、

  1. 村おこしへの参加意欲を高めるための「村おこし大会」や「村おこし懇談会」を開催したこと。
  2. 子供から年寄りまでの心を通い合わせる事例として「三世代懇談会」などをおこなったこと。
  3. 指導者層を研修に出したこと。
  4. 歌舞伎の基礎勉強をしたこと。
  5. そして、年度末ギリギリにスキューバダイビングを受け入れることが固まったこと。

を大きく書いた。
 幸い、こんな実績が市に認められ、100万円は予定どおり交付されることになったが、なにしろ、市の貴重な金がもらえるのだから感謝のほかない。
 ところで、10年度実績の目玉となったダイビングだが、ダイバーをいざ受け入れるとなったら、準備が大変だった。
 まず、ダイビング業者に確認した上で、遊漁船を持っている7人の方に協力をお願い。予約の受付は、固辞した次平母さんを説得して受けてもらった。ダイビングに欠かせないシャワー施設は、当初地蔵院の土地をお願いしたものの、作業をするとなると大変なことがわかったので、これを変更して四郎左ェ門屋敷の一隅を借りることで無理をいい、急ぎ生コンと塩ビ管を手配し、水は清左ェ門の自家用水を分けてもらうこととした。
 次は休憩所となる公民館だが、大広間の半分にシートを敷く手配から、入口の板の間は更衣室にするため、カーテンで仕切ることにした。人が出入りすれば、当然、掃除とお茶の用意をする人も必要となる。
 こんなことで、準備が一応できた5月9日、ダイバーが来る旨突然連絡が入ったので、この日は四郎左ェ門浜の掃除やら降り口の草刈りと、意外な汗をかいた一日になったが、若いダイバーを迎えてその疲れもどこかへいってしまった。
 とにかく、ずいぶん前から話題になっていたダイバーの受け入れがこうして現実のものとなった。
 また、片野尾の海が漁師とダイバーの共生の場になったことを思うと、時の流れと、「村おこし」という運動の果たした意義は大きい。

 一小村の海が、新しい観光資源として世に知られ、一挙に利用者が増えることを市も期待しているであろうし、この一石が、村の大勢の人々と何らかのかかわりが生まれることを期待したい。
 それには、村をあげて暖かい気持ちでダイバーを迎えることが肝心。そして、きれいな海、こころやすらぐ村づくりに、さらに村のものが理解し合うこと、力を出し合うこと、これが大事であり、そのことが村の活性化につながる一番大事なことと思う昨今である。

 

 

 ●第一部会 (山村農業の推進)

       部会長   小田 誠

 少子高齢化が進む昨今、ご多聞にもれず我が片野尾区も、その兆しが見え隠れしております。このままで行ったら、片野尾の農業はどうなるんだろう?確かに今の農業形態では生活はできません。だからといって、今ある耕作地を放棄してもよいのでしょうか?その結果は新聞やテレビ等でたびたび報道されているとおりです。片野尾もそうならないようにと宇治区長のもと、この部会ができました。
 先般、県内の先進地へ視察に行ってきました(組合方式での営農・転作の形態等)。そこの組合では勤めをしながら、13人の組合員が、15町歩の田を土・日曜日に(なるべく休日の日に)するように組み合わせをし、あとは余暇を楽しんでいます。
 また、もう一個所の所では、休耕田にウド・ゼンマイ等を栽培、季節になると都会との交流で、野菜や山菜の販売も手がけ、子供達にも農業体験を実施させていました。
 これらのことを参考にしながら片野尾の農業の将来と、都会との交流も視野に入れ、今の現状を理解したうえで、どこにも負けない片野尾方式の農業を、みんなで考えていきたいと思っております。

【お願い】村おこし便りをお読みの皆さん、片野尾の農業の将来についてアイデアがありましたら事務局までお寄せください。

 

 

 ●第二部会 (漁港・関連施設等の整備)

       部会長  宇治 義昭

 片野尾漁港は、昭和62年3月25日、第二種漁港・水津分区として指定を受け、同年工事に着手、東屋の沖に長さ15メートルの北護岸が姿を現した。
 以来12年の歳月と工事費約29億円の巨費が投入され、いよいよ平成12年3月末に現漁港区の工事が完了し、漁港からの船の出入りが見られることになります。
 漁港建設にご尽力いただいた歴代の区長さんをはじめ、区民の皆様に深く敬意を表します。
 さて、漁港背後地の造成地をどのように利用するか、平成9年6月、区長から諮問を受け、同年10月、第二部会として別記のとおりの計画案を答申しました。
 本年4月14日の総会で、歌舞伎伝承館(仮称)を、平成15年度に建設することが決定され、各施設の施工段階に入ってきました。
 第二部会としても、施工に至る具体的な計画を、区民の皆様の意見を伺いながら進めていきたいと思っていますので、よろしくご協力のほどお願いいたします。
 次に大きな課題があります。平成14年度から、国の第十次漁港整備計画が始まりますが、片野尾漁港を増築するためには、この計画に採択されないと、将来の増築は望めません。区民全体が利用できる公共用地を確保するためにもその必要性と施設配置について、今後、更に検討していかなければなりません。皆様のご意見・ご協力をよろしくお願いいたします。

 

 

 ●第三部会 (風島の自然、施設等の活用)

       部会長  小坂 四郎

 21村おこし会第三部会の部会長に選出されて、今日まで部員と共に努力してきました。風島弁天の自然環境を生かした海水浴場、海岸施設管理の方法等について、何度となく部会を開いて検討してきました。その結果、十何年来の懸案であった、スキューバダイビングの受け入れが5月中旬になって決まり、早速、公民館に更衣室や休憩室、私の庭にシャワー等の施設をつくりました。これまでに、2組10人のダイバーが来ています。
 第三部会の目的は、風島の自然を中心とした海岸公園をつくることです。そのためには、観光関連事業を区の皆さんのためになるような形態で実施すること。今回のダイバー受け入れを先行したのも、とりあえず、地区の方々に、少しでも潤いがあればとの考えがあったからです。
 今後は、本題の海水浴場・キャンプ場・レジャーボート管理棟を利用した売店、それに、海産物等の村独自の土産品の開発に取り組んでいきます。
 今後は第三部会だけでなく、管理組織をつくるために、他の部会とも共同で話し合いをし、将来にわたって受け入れをしてよかった、と評価される計画を作っていきたいと思っております。
 皆様方のご意見等、一層のご協力をお願いいたします。

 

 

 ●第四部会 (芸能、文化、伝統行事継承)

      部会長  宇治 義久

 昨年から発足した「片野尾21村おこし事業」のキーワードが『歌舞伎で村おこし』である。
 伝統歌舞伎をもつ集落のエネルギーと、漁港・風島海岸の公園化・県道改良などの社会資本を「村おこし」に活かし、加えて、歌舞伎芝居を市の活性化に役立てたいとするものです。
 第四部会は芸能・文化・伝統行事継承を担当する部会で、初年度は伝統行事懇談会、祭りの見直し懇談会等を行う中で、歌舞伎伝承活動として基礎講座を開催し、群馬県在住の三代目、三桝京昇師を招き「化粧・鎧作り」等の指導を受け、引き続き第二回基礎講座を開催し、「義太夫・衣装・かつら作り」を受講したところです。
 今年度は、歌舞伎を伝承してきたエネルギーに、更に、村伝統の年中行事や芸能を伝承する活動を通して、村づくりへの新しいエネルギーを創出することを計画中です。
 また、すでに参加決定している10月31日の、岐阜県加子母村で行われる国民文化祭参加要請に応え、歌舞伎保存会では「太閤記十段目」をもっか練習中です。

 その他、村の名所旧跡等の調査、村に古くから伝わる民謡練習の収録(すもう甚句、よいとまけ、いずも節ほか)また、8月15日の盆踊りには、片野尾「甚句大会」の開催を計画しているところです。今後さらに、「村の祭りと鬼太鼓」について懇談会をもち、検討したいと思っています。
来年の目標は県外の農村歌舞伎友好団体の参加を得て、両津市を会場に『農村歌舞伎祭り』をおこなうことが『21村おこし会』第四部会として最大の課題です。
 村おこしチャレンジ事業として認めていただいた市の期待に応えるためにも、地区民一同、心をひとつにして取り組まなければ、成功は望めません。皆様方の大きなご支援・ご協力をお願いいたします。

 

 

 ●第五部会 (交流・健康増進・美化運動)

      部会長  宇治 久遠

 思いやりと心やすらぐ運動

 「心やすらぐ」、本当にいい言葉ですね。
 「21村おこし会」の他の四部会は、漁港整備など、みな社会資本整備等のハードな部会です。
 第五部会では、伝統の片野尾の人間性、心やすらく集い、親睦交流会、健康問題等、主に心の問題について協議してきました。
 計画した歩け歩け運動には、早速、少ないときで10人、多いときには二十何人もの皆さんが、5時30分に公民館前を出発し、弁天様を参拝して帰る、往復約30分のコースで行っています。またその他に、月布施方面に行く人、そして、夕方、または夜間歩く人も見られます。皆さん口々に、歩くようになってから、体調が良くなった。食事がおいしくなった。というような話をしてくれ、大変うれしく思いますし、これがずっと定着してくれることを願っています。

 その他の事業としては、公民館と共催で行うものが多いですが、ボランティア美化運動、村旅行、温泉浴、新しい県道にできる並木ボックスの植栽等、たくさんありますが、とりわけ「ふるさとだより・一本松」の発行、また、お盆に行う予定の「ふるさと親睦交流会」には、準備等大変だと思いますが、大きな期待を持っています。
 それは、遠く故里を後にしている皆さんとの、心と心のつながりを大切にしたいと思うからです。
片野尾の皆さん、地区に残る私たちの手で、今までどおり、暖かくて思いやりの心で、お盆に帰ってきた時はもちろん、どこの地に住んでいても、故里を懐かしむ人たちのために、ただ片野尾を思うだけで、自然に涙があふれてくるような、そんな村を、みんなで力を合わせて作っていきませんか。
 これからの子供達のためにも、あんな故里へ帰りたくない、と思われない、故里へ帰って、家で両親と住むんだ、と行ってもらえるような故里づくりを、そういう心を大事に大事に、次の世代へ、またその次の世代へ手から手へと、そういう夢を見ながら。

 

 

寄稿

 

 中国を考える

          宇治 仁

 西沙諸島というところがあります。ベトナムと中国が、お互いに領有権を主張して争っているところですが、普通なら、外交交渉を通じて平和的に解決すべきところを、中国は一方的に領有権を宣言しています。
 また、その近くのフィリピン等との領有紛争の地、南沙諸島も、中国が一方的に建物を建設し船着場をコンクリートで固めて、フィリピンが抗議をすると、船着場を一緒に使おうなどと、うそぶいています。
 わが国の領土である尖閣諸島・台湾寄りの沖縄県の一部ですが、沖縄が返ってくるまでの27年間は何も言わなかったのに、日本に返還されたら、とたんに食指をのばしてきました。良質な海底油田があることで知られています。そこへ、武装した漁船が来るのです。最近は、測量船らしきものが、海上保安庁の退去勧告を無視し、何回も来ています。
 私はそのようなことに対して日本はもっと声を大きくして、抗議するべきだと考えています。

 

 

お知らせ  広報部

 

一、防災避難訓練 7月18日 片野尾でも

 平成7年、今までに経験したこともない大きな地震「阪神・淡路大震災」が発生し、多くの方々が家屋やビル、橋の下敷きになって帰らぬ人となってしまいました。またその前には、北海道の奥尻島で、これも多くの方々が津波に飲み込まれ、尊い多くの命を落としてしまいました。
 近くでは、三年前に隣の月布施で、山の頂上付近で大規模な地滑りがあり、川を埋めた土砂が土石流となって来ると危ないと、避難することがありました。
 昨年は、東立島で大洪水があり、全員が隣村へ避難、全国テレビにも出ましたが、片野尾も海岸に近く、万一に津波が押し寄せてくるようなことがあれば、それらの二の舞にならないという保証はありません。
 神戸の地震などを教訓に、まさかの時の訓練が各区でも行われるので、万一の災害のときにも「犠牲者を出さない」を合言葉に、この日は村をあげての訓練となりますよう、ご協力願います。

 

二、ピカピカの片野尾 ありがとうございました

 日曜日で休みの日の5月30日、ボランティアクリーン作戦・美化運動に子供会から老人クラブの方々まで、大勢の皆さんから参加いただき大変ありがとうございました。お蔭様で風島公園・片野尾神社・諏訪神社・大平トンネル公園などがとてもきれいになりました。車で通る人たちには地域性を感じながら、気持ちよく走ってもらえることでしょう。本当にありがとうございました。
 また、この後、もう二回ほど実施する計画ですが、自分たちの地区をきれいにするためですので、再度、都合をつけて参加くださるようお願いいたします。

 

三、早々ダイバーが来村 きれいで良い海と

 村おこし会会長や、第三部会の皆さんのご苦労により、佐渡で三ヵ所目のダイバー基地を当地区が受け入れることになりました。
 早速、佐渡ダイビング協会インストラクターの正司正さん(黒姫)、藤幸彦さん(相川)、重宗美圭さん(佐和田・山口県出身)、矢挽昭さん(羽吉)、渡辺由香理さん(畑野)の男性3名、女性2名の計5名の方々が、風島の20メートル程の海に潜りました。
 当日は、もうひとつ天気が良くなく、海中は冷たそうで、女性の方は初心者なのか船に上がってからも寒そうな感じでした。
 海の中では、サンゴやウミイチゴ、ウミ松、そしてメバルの稚魚が群れているとのこと、できれば個人指導を受けて、一緒に海中へ潜りたい気になりました。
 浦島太郎のようにきれいな海の中が見れます。皆さんもダイビング教室へどうですか。
 責任者の正司さんは、早速、次の日の30日に、インターネットのホームページで、世界に向けて片野尾を発信したとのことです。
 その結果、当地の良さを知って多くのダイバーが来てくれるといいですし、片野尾歌舞伎で全国に知られるようになった当地を、今度はみんなで力を合わせ、「これ〜よう来てくれて、ありがてえぬぅ〜」の片野尾流の感謝のもてなしで「温かい心で迎える・いいスポットの地」というような発信をしてもらえるよう、また、ふるさと出身の皆さんにもそういうメールを見て懐かしく・誇らしく感じてもらえるよう、みんなで力を出し合いたいですね。

 

四、村の動き・地区の行事

 ・歌舞伎伝承館(仮称)平成15年度建設に向けて

 ○臨時総会でこのことが決まったので、区長は市の担当者から指導を受け、また、県水産事務所長との協議をした上で、6月4日には代表者5名で、漁港背後地の市有地の使用と、この計画の実現に向けての陳情を市長に行いました。

 

五、知ってる?片野尾の住民だったトキ

 中国からいただき、現在、佐渡トキ保護センターで飼育されている雌のトキ・ヤンヤンに日本で始めて人工ふ化によるヒナが誕生しました。うれしいことに元気で順調に成長しているとのこと、片野尾に縁があったので、本当にうれしいことです。
 それにつけても、佐渡に最後までいたトキが、片野尾に住み着いていたということを若い人たちは知っているでしょうか。
 最後まで残った5羽のトキは、大平トンネルの頂上付近をねぐらに、夕方になると時計で計ったように正確に帰り、朝になると5羽がそろって巣を飛び立ち、片野尾の奥山の、当時、万作・弥吉・甚蔵・五左ェ門の皆さんが、エサのとじょうを田んぼへ放して管理してくれていたので、トキはそのえさを食べに山へ行ったのでしょう。
 生きているえさの「どじょう」の運搬も、2メートル近くも雪が積もる冬季でも毎日のように休みなく負い上げられ、そういう苦労が片野尾をねぐらにさせたのでしょうし、また、監視員の宇治絹子さんも毎日のように雪をこいで山へ、監視小屋からトキの観察。
 そのような時、5羽になってしまったトキを捕まえ、人工飼育で繁殖させようとの方針が環境庁から出され、東京から専門家が来て毎日のように山へトキの事前観察に出かけました。地区の人は「な〜に、捕まるもんかさぁ〜」とみんな思っていましたが、さすがは専門家「ロケットネット」という網で昭和56年1月、とうとう全鳥捕まえてしまいました。
 その頃、雪の積もった波よけの所へ、小学生の正直な気持ちを雪の上に書いたらくがきが、今でも私の脳裏に焼きついています。
 その文面は、

  • とき、はやくどっかえにげろ
  • ぜったいつかまるな
  • とうきょうからきたもんはやくかえれ

 そして、捕まったときの落胆したあのときの様子と、胸を締めつけられるように感じたこの言葉は、それと同じ頃、役員の皆と大変な努力をして復活させた伝統の片野尾歌舞伎の復活は、一生忘れることはできません。
 大平山がトキの最後のねぐらだったということは、トンネルの手前に説明の看板があります。見てください。今後ヒナがたくさん産まれ、どじょうもいっぱいいるようになりましたので「トキさん」待っていますので、どうぞまた片野尾の山へ来てくださいね。
 その日が一日も早く来るように(編集後記にかえて)。

 

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