一本松 題字

2000.1.30   第10号   編集発行 片野尾公民館・村おこし会

新年明けましておめでとうございます。
  本年も皆さまにとって良い年でありますように。

村おこし会・公民館役員一同

年頭にあたり

 

 区長      宇治 義昭 (藤右工門)

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年は、私たちにさまざまな感慨を残して、1900年代の幕が閉じ、そして今年は、2000年代に踏み出しか年であり、いよいよ21世紀の足音がはっきり聞こえてくるようになりました。
 「村の衆が忙しく働いているのに、釣りばかりやっておる、少し村の仕事をさせてやろう。」ということで、区長にさせられたなと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 昨年12月25日に引継ぎを受けた時点では、ぼんやりと「大変だぞ」と思う程度であったが、松飾りがとれてしまうと、堰を切ったように区会、総会、春真言、陳情、主婦会等々つぎつぎと行事が入ってきて、ゆっくり考える暇もない。25日を過ぎてやっと普段の生活にもどり、今年はどんな年になるのだろう、何をやらなければならないかを考えてみた。

 まず、食料、農業、農村基本法の目玉対策の一つである「中山間地域等直接支払制度」が二〇〇〇年度からスター‘トする。片野尾の将来の農業と農地の保全を左右する大きな間題である。
 また、現片野尾漁港区の工事が三月末で完了し、いよいよ四月から供用開始となり、特に船揚場の利用をどのようにするか、また今後の増築をどうするかの課題がある。
 幸い、直接支払制度については1月19日の総会で実施することに決定され、第一部会長の藤左エ門さんが先頭に立って、各団地ごとの話し合いと取りまとめに努めていただいている。

 それにしても、このような大事業を遂行するためには、区民一人一人の協力なくしては成就しないので、よろしくご指導・ご協力を
お願いいたします。
 今年も、子供さんからお年寄りまで、また片野尾出身者のご家族の皆さんが、健やかな生活が送れますことと、災害のない穏やかな年となりますよう祈念します。

 


▲3月竣工を目指して急ピッチですすむ漁港工事現場

 

東京に片野尾人会 ふとい絆に乾杯

 

  村おこし会々長(副区長)  宇治 一夫 (甚左工門)

 師走も押しつまった12月26日・東京神田のホテルに二十余名が集まり、「片野尾人会」結成の集いが開かれた。
 村おこし会々長の立場で案内をもらっていた私は、この日朝の船で上京。大宮あたりからは車窓から富士山を眺め、東京駅を出てまず感じたのが天気。昼前のまぶしい日射しを浴びてホテルに入ったのが11時半頃であっただろうか。
 ロビーに入ると、今日までご苦労された金子一二三君はじめ、お盆に会ったばかりの面々が出迎えてくれ、本当に久し振りの人もいて、世話人のご苦労のほどがわかる。

 立食のご馳走が用意された手ごろな部屋で、開会されたのが12時40分頃。
 会長の宇治正夫が、本日への経過と、郷土を同じくする者のつながりが大切であることを述べ、当面の夢は、お盆の帰省にはバスをチャーターして、往復を楽しくするところまで行きたい、と挨拶。
 私も挨拶に立ち、「村おこし事業」の考え方と、物が豊か、暮らしが便利、であるが故に心のつながりが大切であると思っている、とつい要らぬことまで触れてしまった。公民館長の薮田亨君も出席してくれ、しかも、ふるさとの味ということで「やきもち」を持参させてくれた家族の気配りには敬服するばかり。

 乾杯で酒席はオープン。一人二人と酒を注いでまわると、「都会というところは、田舎におるようにのんびりしておれんちゃ〜」と苦労話をする者。「ダイバーには気をつけ〜や〜、」と心配してくれる者など話題はいろいろ。
 清田正文君のソフトな進行はカラオケも盛り上げ、その頃には舌がまわるようになっていた私は、これまで挨拶をしたこともなかっ
た皆さんとも話がはずむ。
 「片野尾に行くと顔も知らない人が、おめ〜どこのもんだえ〜、と話しかけてくれる。その話ぶりにはいやらしさがないし、とても温かみがある。」と言ってくれたのは藤右工門の婿どん。これを横で聞いていた弟が、片野尾には「たびのもん」という言葉があるがそれは親しみと歓迎の意味なんだ、と話をはさむと、「だから、毎年片野尾へ行くのが楽しみなんだ」と彼は結んでくれた。
 この集いをお祝いし、こんなひとときがあって午後3時10分、私は帰りの新幹線にとび乗った。

 「東京片野尾人会」の門出にはトンボ帰りの参加であったが、昨年8月の交流会が動機で、首都圏にふるさと会がつくられ、2月には新潟にも同じ会がつくられると言う。また、公民館大会では、今年は一層内容を加えて、皆さんを迎えることになった。
 家族だけのつながりが、村と出身者という輪に広がり、また、生活圏ごとに「ふるさと」の心のつながりが太い線になろうとしている。
 村おこしという運動に、こんな広がりが出てきたことは頼もしいことである。

 


▲東京片野尾人会発会の集いで談笑する皆さん

 

年頭のあいさつ

 

 公民館長   薮田 亨 (次郎右工門)

 新年明けましておめでとうございます。
 公民館長という重責をいただいてから、早一年が経ちました。
 この間、優秀な役員に恵まれ、計画した事業を滞りなく実施することができました。これも偏に、皆さま方の温かいご支援とご協力のたまものと、厚く御礼申しあげます。

 この一年の公民館活動を振り返ってみますと、公民館事業の初企画として開催した、お盆の「ふるさと交流会」では、片野尾出身者の皆さまから多くのご参加をいただき、盛況のうちに終えることができました。また、交流会を契機に、昨年の暮れには「片野尾人会東京支部」が発足しましたし、来る2月には「新潟支部」も発足される予定とお聞きしています。遠く離れた地に居ようとも、故郷を想い愛してくださっていることに、深く感謝申し上げますとともに、故郷の地で暮らす者としての責務に、想いを新たにしております。
 また、片野尾小学校子供歌舞伎の児童や、若手後継者ともども、国民文化祭の岐阜公演に参加し、好評と手応えを得たことも、歌舞伎文化の次世代への継承に展望が開けたことと、大変喜ばしいことでありました。

 さて、今年はいよいよ二十世紀最後の年になります。加速する大きな時代の流れに取り残されないよう、時代をにらんだ社会教育活動を、生活文化に密着した活動とともに進めて参りたいと思います。例年同様、皆さま方から多くのご参加と、ご協力をお願いしながら公民館の役割であります社会教育の助長に向け、講演会の開催や、教育・文化活動の推進、芸能やスポーツ活動の助長、公民館旅行やふるさと交流会などの交流親睦の催し、敬老会の開催や子供会の育成、盆踊りの開催や祭事への参加など、微力ながらその先頭にたってがんばりたいと思っております。
 終わりに、今年一年が皆さまにとりましてより良い年でありますよう、心よりお祈り申しあげます。

 


▲「絵本太閣記」を熱演の歌舞伎保存会の面々

 

遠い空から

 

 東京での「片野尾ふるさと会」に参加して

           横須賀市   宇治 弘 (源六出)

 昨年の最後の日曜日に、東京で片野尾ふるさと会の関東方面在住の方の集いが開催されました。年末の忙しい中で、20人もの方から集まっていただき、ありがとうございました。支部長の宇治正夫事務局の金子一二三、清田正文の皆と共にお礼を申しあげます。
 思えば、私が片野尾を離れてから、もう30年以上も経っておりそんなに年齢が離れていない方でも、幼い頃の印象しかなく、名前を聞くまではわかりませんでしたが、不思議なことに、片野尾出身の方は、顔を見ればどこの家の出身か大体わかりました。村おこし会々長であり、支部長の宇治正夫さんの兄でもある宇治一夫さん、公民館長の薮田亨さんにも片野尾から来ていただき、出席者の方々にも、一言ずつ話していただきました。
 昔ののどかな雰囲気が失われつつあるとか、ちょくちょく帰ることができるように、片野尾にホテルができるように、ホテルがあったらなどと、いろいろな話が出ました。
 片野尾は、帰郷する者にとっては懐かしさの対象であっても、地元で住んでいる方にとっては、毎日の生活の場です。片野尾を良くするためにも、経済的に大変であったり、受け入れる方にとって負担になる場合もあると思いますがどこに住んでいても、片野尾が住み良くなって、栄えてほしい気持ちは、皆さん同じです。是非、暖かく迎えてやってください。
 片野尾を良くするためにどうしたら良いか、建前だけでなく、本音で話し合える場がもっとあったらと思い、今回インターネットを使うと書き込める掲示板を作りました。一度行ってみてください。アドレスは、http://bbs2.otd.co.jp/18508/bbs_plainです(2011年現在使われていないようです)。
 最後に、片野尾に年老いた私の母が一人で住んでおり、お世話になっています。宜しくお願いいたします。

 

 失敗を恐れている人たちへ

           横浜市   浜田 静枝 (万作出)

 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 勇気が出るようなメッセージに一会いましたので紹介します。 

 失敗を恐れるのはなぜでしょう。
 できないと恥ずかしいのでしょうか。
 できないと迷惑がかかるのでしょうか。
 なぜ、そんなに完全なものを求めるのでしょうか。
 基準はいったい何なのでしょうか。
 私はできないことがうれしい。
 なぜなら、これからできる可能性があるからです。
 できない、失敗とかは、今自分が何かでき、何かできないのか知る指針にすぎません。
 だから、できないことは何も悪いことではありません。
 気がつけばいい。
 だれが文句を言っても、だれがバカにしても、ただ自分の位置に気づきさえすればいい。
 できなければやり直せばいい、ただそれだけ。
 それ以上のものではない。
 人は年をとるにつれ、いろんな ことができなくなってくる。
 失敗することもある。
 自分を知ること、ただそれだけ ただそれだけなのです。
 失敗ができることへの始まりなのです。

 いかがでしたか、勇気がでてくるようなメッセージではありませんか。一本松をご覧の皆様、今年も計しいことへのチャレンジをしてみませんか。

 


▲東京片野尾人会発会の集いで談笑する皆さん

 

第14回 国民文化祭 参加報告

 

 

 村おこし会々長(副区長)  宇治 一夫 (甚左工門)

 村おこし事業平成11年度の基幹事業は、10月31日岐阜県恵那郡加子母村で開催された「第14回国民文化祭・地歌舞伎大会」に参加すること。
 前日の30日、総勢七十余名が朝の4時に公民館前に集合。小学生とその親達は本線周りで、保存会のメンバーは前浜海岸を通過して、それぞれ小木港に集合。
 心配された船旅は意外と静かで責任者は胸を撫でおろすことしきり。上信高速自動車道の開通日とかさなって、天気もこの日を祝福するかのよう。

 加子母村に到着したのは予定どおりの午後2時過ぎ。会場の「明治座」や沿道に幟が林立している風情に、まず一同は感激。小休止もそこそこにリハーサルの順番待ち、リハーサルも本番そのものに汗をかく。宿にはいったのは夜の10時近くであった。

 

●国民文化祭・ぎふ99 12のテーマを34会場で

 国民文化祭は、文化庁と開催県の共催。地方の文化活動を活発にするのがねらい。
 14回目の平成11年は、岐阜県下34の市町村が会場で、10月23日から10日間の会期。
 「明日へはばたけ創造と伝承の心」をテーマに地芝居(農村歌舞伎)だけでも全国から20の団体が参加した。

●伝統と新しい文化を創る加子母村の「明治座」

 加子母村は、飛騨の奥深い山村で人口は約3500人。ヒノキの産地で有名なところ。
 その、村自慢の芝居小屋「明治座」は明治27年創建の木造で岐阜県指定の重要有形民俗文化財。
 ここを拠点に、プロも参加する歌舞伎フォーラムなど芸能活動が盛んで、芸能人や文化人の出入りも多く、近年は、学生が文化活動をする合宿の村、とも言われている。
 また、加子母歌舞伎保存会は村のテコ入れもあって、会員は700名とか。村教育長さんが、行政が援助するのは「明治座」を拠点に人の交流を盛んにするのがねらいと語ってくれたのが印象的だった。

●勧進帳におひねりの山長い拍手が絵本太閣記に

 そんな村、歴史ある「明治座」で片野尾一座が演じたのは、子供たちが「勧進帳」、保存会は「絵本太閣記十段目」。一幕目の「勧進帳」は、子供たちの熱演と黒子役の先生方の呼吸がピッタリ。また、余りにも堂々とした演技に観衆がどよめき、弁慶などが見栄をきるたびにおひねりが飛び、舞台が白くなった。
 一方、「絵本太閣記」は五幕目子供たちに負けてなるものか、との意気ごみがあったものか、これも主役の光秀や正清の演技に盛んな拍手がやまなかった。

●最後は佐渡の宣伝も、交流会で佐渡おけさを

 終演となったのは夜の7時近くその後の7時50分頃、加子母小学校体育館を会場に参加者の交流会が開かれた。
 村長、実行委員長などの挨拶。郷土芸能の太鼓の披露があり、参加団体の紹介や挨拶が終わったころを見計らって、片野尾の有志が浴衣にスゲ笠をかぶり「佐渡おけさ」を披露するとアンコールの連続。最後は、フロアーに下りた一同を囲むように佐渡おけさの輪ができ、交流会は予定時間を20分近くも超過してしまった。
 宿に入ると間もなく、地元の役者連中が押しかけてきて、夜更けまで歌舞伎談議が続き、今日の一日が終わったのは夜半であっただろうか。

 昨年10月31日、岐阜県で開催された国民文化祭ln岐阜に、歌舞伎保存会・子供歌舞伎の両者が地歌舞伎大会に参加しました。
 その後、大会長の岐阜県知事、地歌舞伎大会長、加子母村教育長の方々から礼状をいただきました。そのうち、加子母村教育長さんから、小学校にいただいたものについて星野校長先生の許可を得て、ここにご披露します。

 

 拝啓 紅葉の後れた今年の秋ですが、11月に入ってようやく色増してきました。
 ご健勝にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。
 先日は遠路はるばる子どもたちを引率ご来村くださいまして、国民文化祭地歌舞伎大会・inかしもの舞台に、大きな花を咲かせていただき、本当に有り難うございました。
 狭い日本、交通機関が発達した今日とはいえ、12時間近くも要する実に遠い山村に来ていただける、しかも歌舞伎を演じていただける等とは、当初夢のような話でその夢が実現し、且つ御地の子どもたちが、多くの人々に大きな感動を与えて下さったことを、心から喜び、このことは、地域の方々のご理解とご協力もさることながら、校長先生のご理解ご決断なくして実現し得なかったことであり衷心より感謝し、厚く御礼申し上げます。

 長旅の疲れにもめげず、ご到着間もない初めての舞台での稽古、その落ち着いた凛々しい姿を拝見し、強い衝撃を受けるとともに翌日の本舞台がどの様なものになるだろうかと、本当に楽しみにしていました。
 想像をはるかに越える舞台姿、確実よどみない演技、私は芝居には縁のないものですが、我を忘れ涙し引き込まれました。終わってその感動を伝えようとしても、言葉として声が出ませんでした。黒子役の先生も芝居のなかに入って見えました。これまでの、学校や地域をあげての取組みの深さを強く感じました。
  ご来村の日、急に寒さが加わりましたが、幸いにも好天候に恵まれ、村内見学や、交流会にもご参加下さいまして有難く思いました。

 今回のご来村には、学校におかれましても大きなご労苦を伴ったことと存じますが、お子様たちには、かけがえのない体験の機会を作っていただけたものと、ご無理をお願いした私どもとして救われた気持ちでもあります。ただ、中には体調を崩し苦しいお子様の姿があり、大変申し訳なく思っています。大事に至らず、お元気でいてほしいと祈っています。 お帰りの日には、あいにく強い雨降りとなってしまいました。
 どのような旅程でお帰りであったか存じませんが、ご苦労多いことであろうと案じておりました折夜会議中、無事お帰着とのお電話
をいただき安堵しました。
 あわただしい中、十分なおもてなし、ご対応もできず、何かと手落ちも多く種々ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げますとともに、折角の機会、もっと交流の場を設けるべきでなかったかと反省している次第です。

  学校・家庭・地域の連携を強く求められる今日、御地では既に早くからその実を挙げて見えることにも敬服するばかりです。どうぞ更に個性豊かな学校教育を推進されますようお願い申し上げます。
 校長先生はじめ先生方、児童のみなさん、そして地域のみなさんの一層のご健康ご多幸を心からお祈り申し上げます。
 向寒の季節、どうぞご自愛下さいます様お祈り申し上げ、簡単にて意を尽くせず失礼ながら、右御礼申し上げます。   敬 具

  平成11年11月7日
   加子母村教育委員会 教育長  安江 定人

 両津市立片野尾小学校
   星野 校長 様

 


▲由緒ある重要有形民俗文化財の「明治座」正面の風情  

▲「勧進帳」を熱演する子供歌舞伎の面々

 

お知らせ

 

 新潟支部発足の集いへ多くの参加を 
              宇治 仁(興左ェ門)

 昨年の東京支部発会に続いて、新潟支部発会の集いが、次のとおり開催されることになりました。
 新潟近郊の多くの皆さんに、都合をつけて是非参加してほしいと呼びかけています。
 また、近い片野尾からも是非来てほしいと願っています。

◇日時 2月20日 正午から
◇場所 新潟市・田中ホテル
◇会費 男‥3000円
     女‥2500円
◇連絡先 本間 厚子

 

 

 区の新役員、決まる

 昨年12月12日、二十歳以上の全地区民による役員選挙が行われ、次の方々が選出されました。
  投票率は71%でした。

   区 長   宇治 義昭
   副区長   宇治 一夫  (兼・村おこし会々長)
   会 計   宇治 義久
   議 員   後藤清左工門
          宇治 久遠
          金子 一夫
          金子 敏彦
          小田 誠
          宇治 昭
          清田 一
          小坂 光雄
          山口 秀丸
   会計監査 薮田 満

 以上の方々です。ご苦労さまですが地区民のため一年間よろしくお願いいたします。

 

 

 村おこし大会、盛大に終わる

 去る1月16日、恒例の村おこし大会が公民館で行われました。
 当日は、公民館の昨年度の会務報告や決算報告。今年度の事業計画や予算審議の後、県警本部・交通部交通課の後藤治公課長袖佐(治部左工門出)から、「交通安全よもやまばなし」と題して、ユーモアをまじえながら、有意義な講演をしていただきました。交通安全に対する認識が更に深まったことと思います。
 昼食には、友の会や婦人会のボランテアによるおにぎりやお汁がふるまわれ、アルコールが入るにしたがって声も大きくなったようでした。
 午後からは各種団体による演芸大会に早変わり、爆笑々による交流と親睦の意義深い一日になりました。来年もまた、ご協力の程よろしくお願いします。

 

編集後記

 

  1. 静かな記念すべき2000年の年が始まりました。皆様おそろいで良い新年をお迎えのことと存じます。この記念の年初めに粗末なものですが、ふるさとだより一本松第10号をお届けします。

  2. 水津や野浦で、東京人会・新潟人会がつくられ、活発な活動をしているとのことを聞いたので、片野尾もそういう会ができるとふるさとと出身者のつながりばかりでなく、東京・新潟に住む方々の横のつながりもでき、困ったことや嬉しいことなどの相談や助け合いができ、お互いに良いことではないかと思い、平成10年の一本松第5号で提案したものが実を結び、昨年お盆のふるさと交流会で発起人が選出され、この度、片野尾人会東京支部が昨年12月・新潟支部が2月20日に発会の集いが開催されることになり、役員の皆さんのご労苦に、感謝申し上げます。

ご意見、ご要望はuzzy@e-sadonet.tvまでお寄せください。

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