一本松 題字

2008.3.14  第29号   編集発行 片野尾公民館

 

平成二十年片野尾区役員、決まる

平成十九年十二月三日に行われた役員選挙では、新区長に小田誠さんが選ばれ、各役員もそれぞれ選ばれました。

昨年十二月に片野尾公民館で行われた「平成二十年片野尾区役員選挙」の結果、選任された役員は次の通りです。


◇平成二十年片野尾区役員選挙結果

・区 長
小田 誠(藤左ェ門)
・副区長
宇治義昭(藤右ェ門)
・会 計
宇治義久(半平)
・議 員
宇治 昭(彦五郎)
後藤國臣(弥六郎)
三国 豊(源十郎)
宇治金吾(五左ェ門)
藤岡正典(浄願寺)
宇治 栄
(平次郎)
三国修一(藤内佐ェ門)
金子輝雄(与三郎)
薮田亨(次郎右ェ門)
・農家組合長
三国二郎(与一左ェ門) 
・監査委員
土屋 和朗(半四郎)

 

新区長 小田 誠(藤左ェ門) 挨拶

小田新区長
▲挨拶する小田新区長

皆さん明けましておめでとうございます。
はからずとも再度区長に選ばれまして、また区の行事に邁進しなければならないのかなと思っているところでございます。
政治も変動、私達の地域も少しずつ変わってきております。小学校も前浜小学校として、一時、野浦に統合され約束事なので、近いうちには前浜中学校の隣に開校されるものと思っております。

さて、片野尾の事業について、大まかに書かせていただきます。農地の基盤整備事業(暗渠を含む)が、この三月に終了予定です。そしていよいよ活性化センターの建設が九月より始まりまして、来年三月に竣工です。センター建設についてもいろいろ意見がでました。でもどうにか意見もまとまり総会にも了承され、いよいよ本設計に入りました。完成時には盛大なイベントが予想されますが、その際、片野尾出身者の皆様には何かと御無理を申し上げるかもしれませんが、ひとつよろしくお願いいたします。また、漁港と県道(小平前から診療所まで)につきましては、七月か八月から工事に入る予定です。

そして、もう一つ大事なことがあります。それはこの九月に「朱鷺」の野生復帰が天皇陛下をお迎えして放鳥される計画があることです。片野尾に居た朱鷺が、大平山をネグラとして餌を食べに出かけ、そして捕獲されました。再度、片野尾の山に飛んできてもらいたいと、私達は頑張っております。

一年に三回のこの「一本松」の発行、公民館の役員の皆さんにご苦労かけておりますが、そこには掲載されない、まだ多くの事があります。初総会の様子、公民館大会の様子、市政・県政報告会、区内の写真、協同作業の様子等々、都会に居られる皆さんには知りたい事が沢山あることと存じます。そこでまだ使用してないんですがブログを開設しました。  

http://wind.ap.teacup.com/katanoo/です。これに写真付きで載せたいと思っておりますので、パソコンをお持ちの方の情報をお願い致します。

このようにして、片野尾と都会の人達との情報の交換を行っていきたいとおもいますので、今年一年よろしくお願いいたします。

この辺りで簡単ですが、区長の挨拶とさせていただきます。


片野尾公民館大会 開催

一月二十七日(日)、片野尾公民館で、「平成二十年片野尾公民館大会」が開かれました。
最初に挨拶に立った津村館長は、「昨年一年間は、区民のみなさんへのサービスが足りなかったように思います。二年目は住民のみなさんに対するサービスを充実させていきたい。」と、抱負と意気込みを述べました。

続いて行われた議事では、事務局から、平成 十九年の事業や決算書の報告、平成二十年の事業計画と予算書の説明がありました。その中で「ふるさと交流会の前に発行する一本松をもっと早めに出してほしい」「高齢者を対象とした運動や体育の講座を実施してほしい」「パソコンのホームページなどによる片野尾の情報発信」などの意見や要望が集まった区民から寄せられました。

津村館長
▲挨拶に立つ津村館長
事業報告
▲事務局から予算や事業などの報告
   

続いて行われた講演会では、「明治大火 よもやま話」と題して、宇治一夫さん(甚左ェ門)が講演しました。
宇治さんは、明治三十八年に発生した片野尾大火の様子を既存の資料のほか、独自に調べた資料をもとに当時、かやぶきの家が多かった事や村には兵役やいくつかの行事などで主となる村民がほとんどいなかったなど、いくつかの要因が重なり合った事で大火になったいきさつを語っていました。
そんな大火から復興してきた片野尾の先祖の存在を振り返りながら、「明治の悲惨な大火から復興するには、親類だけではなく村民全員が関わらないと到底無理です。お互いに助け合うという精神が片野尾の先祖たちには、自然と培われたのだと思います。現代のパソコンなどにおけるネット社会では人の心までは豊かにできません。祖先が培った精神活動や支え合う心を、我々も日常の生活の中でも実践し学んでいきたいと思います。」と話し、宇治さんの講演は終わりました。

宇治一夫さん
▲明治大火について話す宇治一夫さん
区民
▲宇治さんの講演を聞く区民の方々
   

午後からは恒例の演芸大会です。保育園児は新潟国体テーマソングに合わせて上手に踊って会場を盛り上げると、南組の踊り「おしりかじり虫」、中組の民謡「新潟甚句」、北組の「ずんどこ節」など各組から十三の演芸、四人のカラオケが舞台の上で次々に披露されました。

今年一番盛り上がったのは、清田一さんと(甚八郎)と三国屋寛さん(源四郎)の二人に、三人の保育園児で演じた「白波五人男」です。スラスラと長台詞を言い終わり見えを立派に切った園児たちは、カンニングペーパーを見ながら台詞を言いまわす二人のおじいちゃんたちを見て笑う場面も見られました。それでも清田さん、三国屋さん共に見えを切るところではさすが年季の入った力強い所作で、ビシッと決めると、観ている人たちから大きな拍手が贈られていました。

南組の出し物
▲南組の出し物。中央は美輪さん?
カラオケ
▲カラオケもありました♪
寸劇
▲小坂学さんによる寸劇
今年も盛大に行われた片野尾公民館大会。
演芸大会終了後は、いつものように各組ごとに打ち上げが行われ、世代を超えた親睦を夜遅くまで?深めていました。

 

お便りコーナー

今回は、集落の児童・生徒2名と片野尾出身者の方々から届いたお便りを、ドドン!と紹介いたします。

「学校が変わって」
            宇治 衣里奈(彦五郎)

今、三校がいっしょになって落ち着いてきました。
昔は、差別がおおくて、グループぽくなって、みんな別こうどうをしていました。でも今は、みんなが仲良くしています。ちょっときびしい人たちがいて、困る時もあります。でもみんな仲がいいので、少したつと、また、仲良くなります。みんながいっしょになってから、にぎやかじゃなかった学校も今は、すごく、にぎやかで毎日が楽しいです。そこが前浜小学校のいいところの一つかもしれません。
あいさつも、いつも大きな声で、みんな言っています。学校の前にはいつも校長先生が立っていて、先頭の優太さんにつられてみんなで「おはようございます。」と言っています。まぁ練習ですね。けど、練習だけど、すごくいいあいさつです。二つ目のいいところです。今度、開校して、こんなにも早く仲良くなれてこんなにいいところがあるなんて、私は、もうすごいと思います。

 

「今年の抱負」
            小坂 美幸(茂一郎)

私が今年目標にしてがんばりたいことは、三つあります。
一つ目は、中学校のテストです。一、二学期のテストでは、すべて合格点に届かなくて、とても悔しい思い出があるからです。なので三学期からは一教科でも合格点をとりたいので、一生懸命勉強します。
二つ目は、スポーツです。私はバドミントンをやっているのですが、県大会どころか県内の大会でもいい成績が出ないのです。そこで、人一倍練習したいと思います。
三つ目は、友達です。中学校へ行き始めたら、小学校のころからの友達の様子が変わってしまってうまく話せていません。そして、悩み中です。でも、今は無理でも少しずつ話せるように自分から努力してみたいと思っています。今年は三つの目標をがんばっていきたいと思います。

 

「ふる里によせて」
            井戸 清一 (長岡市在中・万作出身)

片野尾をはなれて早や四十数年が経って年金を受け取れる年廻りになってきました。地元へ帰って地域の皆様に恩返しをと思いながら、相変わらず日々の生活に追われる毎日です。
昔通った水津中学校、片野尾小学校が時代の流れで統合され廃校になっていくことを淋しく思いますが、気持ちを切り替えれば人生八十年、健康が維持できれば、まだまだこれからと思っております。
「トキ」の野生復帰事業も順調に進められている様子、私も「佐渡トキファンクラブ」に入会して毎月近況を紹介していただいています。地元の御苦労も多いことと思いますが以前の自然環境が戻ってきて全国から前浜地域の素晴らしさを認めてもらえる様、願っております。

待望の公民館建替え事業も国から工事費補助の目途もつき建設計画が軌道に乗っていると聞きましたが、完成が待ち遠しく思います。地域活動の拠点となり生活改善、伝統芸能保存や公演など、地元観光、発展のための重要な施設になることでしょう。水津地区の歴史、文化を伝えていくために郷土資料館が新しい公民館に隣接してできたらと思います。歌舞伎公演の記録保存、方言や風俗習慣の紹介、民具、農機具等の保存と展示、郷土特産品の製造、販売PR活動など夢が広がります。
また、昔から「トキ」の生育地として共に生きてきた時代の人達の話を聞き取り記録に残し、写真や貴重な資料などをまとめて保存しておかれることも大切と思います。公民館完成の際には、大いに交流会を開催して下さい。

スポーツ交流としてバドミントンやソフトバレーボール等気軽に参加できる催しであれば、長岡から仲間を連れて行きます。また、小・中学校の他地域との交流も進めていけたら素晴らしいと思います。長岡でもスキーが楽しめます。片野尾地区では伝統歌舞伎の公演や海水浴、探鳥会など地元ならではの楽しみ方が沢山あると思いますので、私もその実現に向けて微力ながら地道な活動を続けていきたいと思います。

 

「私とボランティア」
            宇治 勇 (三条市在中・源六出身)

皆さん「こんにちは」、源六二番目の勇です。現在、三条に住んでいます。
もう十年位前になりますか、あるきっかけで地域のボランティアに入りました。
今、種々のボランティアと市民活動をしています。最初は、「NPO地域たすけあいネットワーク」次に「三条・燕要約筆記サークル」「三条女性会議」「新潟災害ボランティア」「地域の茶の間」等々、最近では行政と一緒になって、「まちづくり」に参加しています。この間、色んな資格にも挑戦してみました。
住環境コーディネーター、ヘルパー三・二・一級、介護福祉士、近々、ケアマネジャーを受けようと思っています。数多くの研修、勉強会、ミーティング祭事など幅広い人々との出会い、ふれあいの中で、ボランティアが私に教えてくれた事、それは人間の色々な見方・考え方・生き方です。晩年は、これらの経験を生かして少しでも社会の為になり又、皆様と一緒に楽しく過ごせたらなぁと思っております。 以上

 

「つれづれに思うこと」
            雑賀 直子 (新穂地区皆川在中・ 藤内左ェ門出身)

先日は何十年ぶりかで中学校の同級会に出ました。同級生の顔を見て名前が出てこなかったらどうしようと少し心配しての参加でしたが「あの〜あの〜」と言っているうちに思い出した後はガキ≠ノ戻ってのドンチャン騒ぎで朝を迎えました。

還暦を迎えた私達は一生競争だと言われて成長して来ました。今から思えば貧しかったけれど、真面目に一生懸命働けばそれなりに報われた時代でした。働きたくても職場が無い、まるで女工哀史を地でいく様な長時間労働の低賃金、家賃も払えずさ迷う若者たちを見ると何とかしなければという気持ちばかりが募ります。そんな折、心暖まるエピソードに接するとトシ≠フせいかすぐにウルウルしてしまうのです。先日の新聞の投稿欄に「親切踏みにじったバスの運転手」という文が載っていました。
《足の不自由な老人がバスに乗ろうとしていたのに気付いた若者が、運転手にその旨を告げたのに、そのままバスは発進した。暗い気持ちで落ち込んでいる彼の話を聞いた両親が「お前の行為は私達の誇りだ」と言った。》という話です。この両親は投稿者自身ではないかと推察しました。若者が希望を持てる世の中であってほしいと思います。

朝の連ドラ「ちりとてちん」を見ては又、人の情にウルウルしています。人は人のなかで人になる。
かくして今日も又テレビの前に居すわる私なのです。

 

「一本の桜の木の想い出」
            藤岡 真二 (新潟市在中・浄願寺出身)

片野尾の皆様、ご健勝のこととお喜び申し上げます。
私は現在、新潟の地で暮らしており、近くには、ウォーキングコースとして最適な「すごぼりの桜並木」と云う所があって、日々汗を流しております。

毎年、その桜並木が開花する頃になると、故郷の浄願寺本堂脇に老いた一本の桜の木があったことを想い出します。
風雪に耐えながら、春には可憐な花を咲かせ、朝は山仕事に行く人達を見送り、夕方には山仕事を終え、背中一杯に荷負って帰っ
て来る人々をいつも温かく出迎えてくれていた。
冬は、源十郎家と六佐ェ門家の前の坂道を「そり」に乗ってその桜の木を目がけて滑り、勢い余って善平家の蔵の裏側に突っ込んで行く子供達を心配そうに見守ってくれていました。
今はなくなった、そんな桜の木があった事を帰省するたびに懐かしく想い起こします。

 

「寄稿」
            小林 一子 (長野県諏訪市在中・茂一郎出身)

片野尾の皆様こんにちは、いつも一本松を読ませて頂き、昔を振り返り懐しく思っております。実家の両親から村の近況などをいろいろ聞きながら推察し、安心しております。

私は長野県の諏訪市に嫁いで今年でちょうど二十年になります。全く土地勘のない所で、面識のない人々と触れ合い、故郷とは全然違う風習の中で、良いこともあり、悪いこともあり、本当に勉強させられる毎日でした。
年に一回、お盆には佐渡に帰りますが、皆様の素朴な人柄や人情に触れ、つい帰るのが寂しくなります。
卒業した小学校もなくなり少し悲しいですが、来年は歌舞伎公演という大事業があるそうですね。練習も大変だと思いますが、がんばってやってほしいと思っています。

こちらの方では、全国的に有名な「御柱祭」という祭りがあり、吹奏楽が盛んです。我家の娘もそれに所属しており、あちこちの大会に参加させてもらっています。私も応援で忙しい日々を送っております。村の旅行で、こちらにでも来られることがありましたら、是非お立寄り下さい。
皆様の御健康と幸福をそして片野尾の発展をお祈り申し上げます。

 

「地域での助け合い」
            三國 昭七 (新潟市在中・与五郎出身)

一月二十一日、私の住む漆山で、昭和ひとけた生まれ七十三歳の男の人が亡くなりました。
前夜、自分で風呂をわかし、お湯に入ったとのこと、そのまま風邪気味だからと、早く床に入ったそうです。 
夜中二時頃、タンがつまった感じがあり、そのまま息を引き取ったとのお話でした。
隣りの五人組みで呼ばれ、佛様の顔を拝観合掌、思わず幸せな亡くなり方でしたねぇと…。私もこんな死に方ができたらと皆さんの共感を得ました。しかし、家族にとっては悲しい心で涙を流されました。当然です。私は、不謹慎。
さっそく五人組と葬儀屋さんで話し合い。地域の人々へお使い、お通夜準備と受付、翌日の葬儀、出棺、吹雪の中でした。野辺の送り、お菓子配布、火葬場とお寺参りの準備を分担。納骨と共に会場で初七日(壇引)と三十五日の読経とあいさつあり。最後に料理屋さんでおときまでいただいた。

私の兄武夫が死亡した際は、片野尾でも親類の人と五人組の方々が葬儀に関する総てを取り仕切っていただきました。今更ながらその苦労を身にしみて感じ、昔からの五人組み助け合いの心に感謝しました。今は「有難うございました」とお礼の言葉のみです。
良寛さんの詩に「散る桜、残る桜も散る桜」と云う歌があります。私自身も何時お迎えをいただいても不思議でない年になりました。
過疎の進む中で一人暮らしのお年寄が増加しています。週二回、弁当の配食を手伝っており、「お元気ですか。弁当ができましたよ。」と手渡しをしています。「言葉かけ」がどんなにお年寄に元気を与えるか、むしろ私が「元気を頂いているのだ」と感慨の気持ちで一日一日を過ごしております。

 

「十二月二九日、葉書にて」
           押見 虎三二 (長岡市在中・冶部左ェ門出身)

冠省 寒さ厳しいことですが、お障りございませんか。
何時も公民館報「一本松」をお送りいただき誠にありがとうございます。
子供の頃を思い出し懐かしく思っております。
「子供の頃の思い出」でもと思いますが、老人二人の生活、介護の二人が週五人のヘルパーさんに預けられての生活で、今直ぐは書けませんが、少し落ち着きましたら・・・。 
皆様お揃いで、佳い年をお迎え下さい。         草々

 

ふるさとへの想いや昔の思い出、そして、現在の暮らしの中で感じた事柄など、貴重な原稿をお寄せいただきまして本当にありがとうございました。
なお、構成の都合上、今回の公民館便りでは紹介できませんでした、孫右ェ門出身の坂井一枝さん、半四郎出身の安田文子さん、佐十出身の村上了さんの原稿は、次回の公民館便りの中で紹介いたしますので、みなさんお楽しみにお待ちください。

 

歌舞伎記事、紹介

新潟日報の日報抄に片野尾歌舞伎についての行がありましたのでご紹介します。
(平成二十年十一日付新潟日報・日報抄より)
「十六年はひと昔、夢だ、夢だ」。歌舞伎「熊谷陣屋」の幕切れ、熊谷直実の決めぜりふだ。直実は源平の一ノ谷の戦いで平家の公達を捕らえ手柄を立てる。だが、大将源義経の「敵に情け」の思いをくみ、身代わりに十六歳のわが子の首を差し出す。
▼武士道の無情と親の悲嘆。松本幸四郎は顔をしかめ、このせりふを全身から絞り出して直実の苦悩を演じた。涙の直実が出家姿で花道を去る。
(中略)歌舞伎座がまぶしく感じられる身には、十年前に佐渡で見た子ども歌舞伎が懐かしくなる。海沿いのわずか六十五戸の片野尾集落が三十を超す演目を守る。
▼子どもが減るなか、あの時は片野尾小の全児童十四人が「勧進帳」を演じた。孫たちが懸命に見えを切る。「音羽屋!」お年寄りはほとんど泣きながら声を掛けていた。小学校は昨春閉校してしまったが、この四月に大人歌舞伎を上演するという。
▼演目は偶然にも「熊谷陣屋」。義太夫の三国屋寛さんは漁師だ。長男は直実役、孫たちも舞台を踏んだ三大役者である。「子を切る無念をどう演じるかだなあ」。七十二歳の寛さんは、芸の伝承に思いをめぐらす。歌舞伎座をしのぐような威勢の拍子木が、小さな廃校舞台に響く春が待ち遠しい。

 

ありがとうございました

助次郎出身で、現在、新潟市中央区日の出でヘアー&フェイスサロンを営んでいる本間厚子様から、「公民館便りにお使いくださいね。」とのことで金三千円と原稿用紙五十枚をご寄付いただきました。
本間様には感謝申し上げますと共に、今後の広報活動の中で有効的に活用させて頂きたいと思っております。
本間様、本当にありがとうございました。

 

できごと

一月十四日(日) 晴れ

どんど焼きが漁港ひろばで行われました。午前中に集まった育成会の会員と公民館の役員たちは、切り取ってきた竹とワラで四方形の囲いを作り午後からのどんど焼きの準備を進めました。午後からは子どもたちが集落の家を回り正月飾りなど集めてくると、いよいよ火入れです。
火はあっという間に燃え上がり、「パン、パン」と竹が割れる大きな音が辺りに響き渡りました。この音に誘われるように集落の人たちも集まってきて、竹に餅やスルメイカを挟みあぶっていました。焼き上がった餅やスルメは、今年一年の無病息災を願いながらみんなで食べていました。
また、子どもたちは漁民センターで与一左ェ門さんが用意してくれた美味しいカレーライスを食べてお腹も気持ちも温かくなって帰りました。

 

編集後記

「一本松」を担当して二年目となります。前回、便りと一緒に原稿依頼書を同封させて頂いたところ、大勢の方々から原稿が届き興味深く読ませて頂きました。感謝しております。ぜひ集落の方々の声もお寄せ頂き、賑やかな「一本松」にしていきたいと思っておりますので宜しくお願いいたします。
▼予想もできない高波が前浜地域を襲いました。被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
▼一刻も早い復旧に向けて区民総出で取り組まなければなりません。今こそ公民館大会で講演した頂いた宇治さんの言葉、「お互いに助け合い、支え合う精神」を念頭に置きながら復旧活動に取り組んでいきたいと思います。

ご意見、ご要望はuzzy@e-sadonet.tvまでお寄せください。

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