今回は前回に紹介できなかった3名の方の原稿と善平出身の後藤一子さんの寄稿を紹介します。
「寄稿」
坂井 一枝 (新潟市東区在住・孫右ェ門出身)
平成十九年は私にとって、とても思い出深い良い年となりました。
それは、平成一九年五月十五日、夫が受勲を頂くことになり、宮中に参り天皇陛下に拝謁する機会を得ることができたからです。わずか二十分くらいの時間でしたが、陛下からお言葉を賜ることができ、夢のような一時でした。陛下はお年のせいか、顔のむくみや足
下が少しふらつくなど、お疲れのご様子が窺えました。昭和八年生まれ、私も年です。私はまだまだ若いつもりでいるのですが、外から見れば年寄りのおばあさんに見えるのでしょうね。
子どもの頃の思い出といえば、やはり戦争中の物のない時代のことが一番印象に残っています。小学校の頃は、校庭を耕しサツマイモなど食料の足しに作ったり、飛行機の燃料になる油が取れる「チョマ」という草を刈りに山へ行ったりしました。今思えば本当にそんな草から燃料が取れるのか、あやしいものです。また、空襲に備えて弁天の岩の間に隠れる練習も行い、今考えると滑稽ですが、その時は真剣でした。そんな中で遊びといったら海で泳ぐことでそれがなによりの楽しみでした。きれいな海で貝を捕ったり、海の中に潜ったりして遊びました。岩から岩まで泳ぐのも楽しみでした。
距離が長く大変な時もありました。また、地蔵院から見る風景は、美しいの一言でした。しかし、今では海が道となり、昔とは違った風景になりつつあります。車社会の現在では仕方がないのかもしれません。
たくさんの思い出を与えてくれた片野尾、そして、片野尾の人たちを私は今でも大好きです。どうかいつまでも皆さんが、元気で過ごせますように願っております。
「新穂に嫁いで」
安田 文子 (新穂地区在住・半四郎出身)
片野尾の皆様、お元気でお過ごしでしょうか。私は半四郎の末っ子になります。実家は兄貴独りになってしまって寂しくなっておりますが、部落の皆様にはお世話になりっぱなしで申し訳ございません。私は新穂に縁があって二十年余り、今ではお陰さんで夢が実現できて美容室を経営させてもらっています。これも皆生み育ててくれた亡き父母のお陰だと心から日々感謝して毎日頑張っております。親孝行もできずに親を失って後悔しています。今はその分、お客様孝行と思って、世のため人のため自分なりに尽くして頑張っております。片野尾の皆様、新穂を通った時には、是非寄って行ってくらんしゃ~ぁ。待っております。
「寄稿」
村上 了 (相川地区在住・佐十出身)
お生立ちから申し上げます。
私は大正三年佐十家の三男として兄弟五人、半農半漁の家に生まれ、夏はイカ釣り、冬は炭たきで生計を立て居りました。いたって貧しい家でした。時には父のタバコ代にも事欠くことがあった様に思います。
私も子供心で大人になったら親にタバコ銭くらいは差し上げたいと心に定め、昭和六年両津高校卒業後、お礼奉公を二、三年致しました。長男次男長女は他界、次女(兵吉ばあさん)私だけが生命永らえて居ります。
昭和九年近衛連隊に入隊、上司の勧めにより現役志願、二年後同年兵は兵役を終え除隊するのを窓越から眺めながら自分はこれでいいのかと考えましたが同年伍長に仕官念願の親へのタバコ代十五円を送る事が出来ました。
私もトントン拍子で五年後に曹長に昇進。今度は五十円ばかりを差し上げる事の出来る身分になり親からは「再三の送金が有難い」という手紙を頂き、これで村でも人並みの生活が出来たかと喜んで居りましたが昭和十四年、満州事変参加のため横浜港を出航、上海・南京武昌各地を転々と戦い十五年、南京を舟出佛いんりようカムラン湾侵略、同年部隊は大東亜戦を戦うため、タイ国シンゴラに上陸、英軍の激しい空爆を受けヤンの木を盾に身を守り早く日本空軍の来る事を願いました。同年、マレー半島を征服して南下。十五年後シンガポール天ガ飛行場に勤めた。十六年、シンガポール経由スマトラ島メダン飛行場に。二十年、終戦同年佐世保に復員。二十二年より高屋のお父さんの計らいで木炭生産組合に就職。当時ガソリン不足のため、木炭自動車が走った時代です。増産のお願いに各町村を参った事が昨日今日の様に思います。
二十八年、県職員として佐渡庁に勤務。私の人生は波乱万丈の人生でありましたが、五十三年定年退職に終りを告げ、今は良き友を得て、週二・三回は将棋、碁、マージャンに明け暮れ楽しい老後の生活を送って居りますが、私が思ふには部落の発展のために人材育成が何より急務かと思います。幸い部落には有望な青年がウヨウヨして居るとの事心強く思って居ります。
この人達のご尽力で豊かな住みよい部落にして頂きたいと念願致して居る者で有ります。
今後とも宜しくお願い申します。
「寄稿」
後藤 一子 (相川地区在住・善平出身)
片野尾の皆様、お久しぶりでございます。お元気でお暮らしでしょうか、又、県外で活躍されている皆様方お元気ですか。今日は皆様方に是非お願いしたいことがありましてペンを走らせております。
実は皆様方、ご存知の私の兄、善平家の長男である善正が亡くなり二十年の才月が流れております。当初は部落の方々をはじめ、同級生、又は旧水津地区の方達には一方ならぬお世話になりまして深く深く心より感謝申し上げます。
この度、親叔である甚左エ門、宇治一夫・正夫兄弟の大変な協力を得まして兄が生前、高校の教師を勤めながら佐渡の伝統芸能でもある能の普及に寝食を忘れて、日夜頑張って佐渡全島を駆け巡り一生懸命、佐渡の人々に能というものをわかりやすく、是非知ってもらおうと又、伝えていきたいと金井に一軒家を借りて彼自身、能に魅せられ、何とかしてという一念で動き回っていた兄を今、改めて非常に懐かしく思い起こしております。佐渡新聞にも連載で載せて頂いていたのは皆様方の中では御存知の方も多いと思います。その善正の供養の為、二十年という節目を迎えた今、一冊の本にして義正の人となりを紹介できたらという思いで動き始めました。
甚左エ門兄弟お二方の多大な協力を得てその本がこの九月に完成する運びとなりました。一冊、二千円でと思っております。
どうか片野尾の皆様方、又、片野尾以外に住居をかまえている皆様方一人でも多くの方達に知って頂きたく又、読んで頂きたく心よりお願いしたい次第でございます。
厚かましいお願いで大変恐縮致しております。佐渡の島の中で、いえ片野尾出の一人の小さな人間が自分のおそらく夢の実現の為、頑張って頑張って、その志半ばで人生の幕を下ろさざる得なかった善正の無念を思うと自然に私は涙が出てきてしまいます。
この一本松の場をお借りしまして是非という思いでお願いさせて頂きました。一人でも多くの方に御賛同が得られますよう兄弟一同心よりお願い申し上げます。
原稿をお寄せ頂いたみなさん、本当にありがとうございました。また近況をお知らせする原稿や今回の原稿に関する感想等も随時お待ちしておりますのでお近くの広報部までお寄せ下さい。
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